「お返しします」


「なんで、だって君ももらってきたでしょう」
「わかりません」

 涼しい雪の通りみち。新緑の季節の真ん中で、木枯らしもひよどりも仲間になる。子どものころは気づけなかった当たり前に気づくのはどうして失ったあとだったんだろう。やさしい風が前髪を透ける。大人になったという明確な区切りは実はなくて、欲しがること自体既に失っていた。気づいた時から君はもう大人になっていたんだよ。

「目をあけたくありません」
「ぼんやりして、君も左目がすけている」
「半月前に失いました。けれど理由はわかりません」

 ずっともっていたくせに今更知りませんでした、わかりませんでしたなんて虫がいいと笑う。大切なものなんてその時の環境や心象で変わりうるものなのに。たかが歳が過ぎたくらいで大袈裟だと、笑うがけれどそれならなぜこれほど空洞のようにさみしかった。ふれた瞳も伝う温度も、なにもかも熱を帯びた。愛ですと名を与えられた行為に満ちても一向に欲しかったものは手に入らなかった。大人をさびしいものと定義するなら、子どものときにそれをもっていたのかと問いたい。美化するくせに、目を背けるくせに、君はいつだって君だったじゃないか。

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