よりそう陰り

勇気をもらった言葉に関する覚え書き

ここで生きていますというふりをしている。ほんとはどこでも生きていない どこでだって生きていたくない
/憶

 勇気をもらった言葉って、前向きなそれが多いと思った。
 ひねくれているので、つらいときに明るいものを見るとつらくなった。刹那的な作用で光が差すものの、我に返ってみると何の変哲もなかった。

 元気が欲しいときに前向きなものは見なかった。というよりあまり目にうつらなくて、誰かに届けようとしていない単体のものに強く惹かれた。誰のものでもない、その人自身が持つ強烈な輝きに、息が止まるようだった。YUKIみたいに、光る人は単体で完結しているから好きだった。連載中のエッセイでなく、完結した日記を見た。亡くなった人だとより愛した。終わっているものは変化しないから好きだった。

 そうして結局言葉におちついた。顔も名前も知らない誰かが落とすとりとめもないもの。
 同じように終わりのなかにいた。だからこそ目に映ったのかもしれない。どこでだって生きていない、って本当に、山月記を読んだ方の大半が思うことではないけれど、同じだと思った。多分どこでだって生きていたことがなかった。外のなにかを愛しながらも、結局心の部分は単体で生きていたような気がする。いつも羨ましいと思っていた、どこかで生きているような人を。結局大切なものばかり閉じこめて、それを守るだけの暮らしだった。若さゆえと思う。けれどそれがなくなるとき、わたしもわたしでなくなると思う。

 誰もかれも愛していた。きっと大袈裟なって言われるけれど、わたしは本気だった。あらゆるものを生きものとして愛して、割と大真面目に宇宙規模で物ごとをみていた。確実に宮沢賢治が影響している。わたしも含めて愚かだから愛しかった。愛するって赦すことだった。

 わたしも間違いの中で間違いを選択してその間違いから派生してきた人生で、だから不器用でも不器用なりに世界をまっすぐに見たかったのだと思う。本当の意味で何かを憎んだりすることはなくて、ただすべてをあきらめていた。全部、色んなことを本質から見ていた。無常のなかでは皆等しく無力だった。

 ただうつくしいものを見ていたかっただけなんですと言ったら人間に向いていないといわれて、たしかにそうだと思った。わたしが綺麗だと思う、信じたいと思う世界のことを本当の意味でわかる人はおそらくいない。これはわたしでなくてもそうだった。育った環境や境遇は皆違うのだから、人のことはわかりたいけれど解れない。
 だからわたしはわたしで完結してゆく。わたしの信じる価値観や大切なものを、学びや創作、生きてゆくその過程すべてを使って昇華すると決めていた。
なんだかあまりに稚拙で感情に任せた文。でもたまにはいいかもしれない。

 日本語を巧みに使っているところが自分は好きで、という言葉をいつまでも憶えている。反復しては消え去らないで湖を漂っている。わたしは自分の信念以外のことにはまるでプライドがなくて、けれどその信念、作品に関することだけにはたとえ刺し違えても守る決意をしていた。それくらい人間の軸というのは大切で、自分を守るとはそういうことだった。生きることに本気なのだと思う。けれどこれでも結構楽しく生きてきた。楽しいことも悲しいこともすべて記憶にして。

 その批評を受けたとき嬉しかった。
わたしは生き方自体を作品と思っている節があって、それを認められることはこれでいいんだと思える支えになった。

 月のはじめ、こういうことを話したら信頼することの大切さを説かれた。全てを総括するとそこだったのだと思う。信頼してないからひとりで生きてるのではなくて、ひとりでしか生きられないからそうしているだけだった。大切なものを壊されたくなくて、穢したくないだけだった。

 何度だって弁解していた。人間として生きものを愛しているのだと。愛したいからこそひとりでいるのだと。その全てを人間を信頼できないからと総括されて、そうかもしれないけど悔しかった。心に線引きをしているだけで、どこでも生きていないだけで、わたしは全てを愛していた。

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