記憶


 ただ感情にまっすぐで、好きなものがすきで、嫌いなものを嫌っていたら今の自分になった。
 文章がかけない。現実が楽しいからなのか夢を見なくなったからなのか。明快で、それは夢をみれなくなったからだ。昨日は村か世界か何かを創造する夢を見たけど、現実で夢を見るのはなぜか難しい。

 たとえば弟が羊になったり、犬を湖に沈めた話なんかは4年前、早いし、順当といえばそのような気もする。もう文章がかけない。それをそう思わせるだけには十分な時間じゃないか。4年の間になにがあったのか。簡単、夢を夢と思えなくなった。
 Aと信じようとしたとする。信じようと思っている時点でそれは夢ではなくなっていた。夢とは無心に信じるものであり、巨大な愛であり、悲しくみじめな祈りだった。ロックとも形容できた気がする。

 AをBだと決めつけて、ならそれでもう話すことはないから、と眠りにつくような大熊。脳みそを着実に衰退させてゆく。一番想像力があったはずの幼い時代に魚をとり、なめらかに衰退しながら反芻してゆく今は愛に奔走している。全く馬鹿げている。でもどうせ寝たら忘れる。傷ついたことも傷つけたことも忘れる。忘れて流れて灰になる。初めからなかった記憶は外壁をノックしながらへらへら笑っている。ころしてやろうかと思う。

 クレープの薄さを考えている。その薄さを綺麗とか気持ち悪いとかありがたがったり、遠ざけたり、あらゆる方向から一心に眺めていたような気がする。外野から。
 ティックティックダンダン、と、心地よい音色は過去だから流れる。もしわたしが過去をより良いものだったと思えるとき、多分全てを忘れている。書いていて、とても情けない。単純な話。

 スフレとらびこがわたしなら、わたしは全部徹底的に破壊して、彼女たちの住処すら奪わなくてはならない。空から降る隕石は溶岩になり、毎週くる祈りの時間は不幸の手紙に、助けられた記憶は残虐なひなげしに。そしてわたしは泣くんだろうな、バカらしくて。

 いちごの綺麗な部分。妹やお母さんの皿にのせている。それはどんどん増えてゆく。自分の皿、それが存在していることすら気味が悪く、マッキーで塗りつぶした後、燃やして捨てる。ただ残骸ばかりが降り積もる喧騒の冬。それを繰り返し繰り返し、夢をみる練習をする。





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