すきな過去のおはなしのいちぶ
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いつもと違う、ふしぎな雰囲気がただようなか
周りの雑音と 甘ったるい液体を炭酸でわる音が響いた。
隠しているつもりなのだろうけれど、俊さんの思いつめたような表情、行動を見れば これから何か変化が起こることは予想できた。
「……きみこ」
「……?」
そっと、振り向く。
名残惜しさが残ってしまうわたしは、本当に最低だ。
「……ずっと、言おうと思ってたんだ」
もの哀しげな彼の表情が、わたしの瞳にうつる。
照れたような素振りを見せているけれど、目がぐしゃぐしゃだから すぐに見やぶれてしまう。
空気が湿っぽくて、伝わって、浸透して
わたしまで 泣きそうになった。
“ 嫉妬、したんだ ”
……これが 告白であると、今までのわたしたちとの別れであると、しずかに悟っていた。
考えただけで、とても、
とても 胸が痛い。
今までどおりでいたいと願ったけれど、それはできそうになかった。
はじめさんに惹かれる前は、本当に 彼が好きだったのだと 今更気づいてしまったから。
気づいたからには、もう元には戻れない。
わたしには、はじめさんがいる。
理由もなく好きだと思う、彼がいるから
「……君は子どもだって、何度も言い聞かせてた」
でも、駄目だった
日を重ねるごとに大人に近づいてゆく君を見ていると、自分の気持ちが抑えられなくなってしまった。
楽しそうに僕と話す君、笑う君、泣く君。すべてが愛しいと、感じてしまったんだ。
「………俊さん」
ひとつひとつ、詰まった言葉をはき出すように、彼はいった。
瞳が激しくゆれていて、こぼれる涙と充血した目を隠そうと、しきりに横を向いていた。
がまんする気もおきなかった。
包み隠すことのないその言葉を 真っ向から受け止めて、自然となみだがあふれてきた。
こたえられない申し訳なさと、好きだった彼の想いが嬉しくて、かなしくて
どうしようもなかった。
きっと彼は分かっている。わたしのこたえ。
でも、区切りをつけようとするその心に、わたしはほんとうに 涙したのだ。
瞳が絡む
その瞬間、時間が止まったような気がした。
「……ごめん、好き」
ふるえる声で、彼はほほえんだ。
涙がほおをつたいながら、さびしそうに。
愛しいものを見るかのような瞳で、わたしのふくよかなほおを、なでる
伝う。
どうしてこんなにやさしい彼の、気もちにこたえられないのか 分からない。
はじめさん以上に、愛しいと思うのに。感謝してるのに
……はじめさんが 好きでたまらなかった。
わたしは 情けなくて かなしくて
うれしくて、泣いた。
大人だと いうことも わすれて
まわりの雑音が
ゆっくりと 戻ってくる。
離れた海のほうから 船の汽笛がきこえた。
はしゃぐ小鳥の声と、死んでしまった蝉たち。
わたしは手で顔をおおいながら、ごめんなさいといった
声がこもっていて、自分でも なんて言ってるのか わかんなかった
「……ありがとう」
「……、え」
俊さんはほんとうに、やさしい目で
わたしを見ていた。
どうして、
わたしは あなたを傷つけたのに。
どうして
「……僕のために 泣いてくれて、ありがとう」
幸せそうに、哀しそうにほほえんで、わたしを抱きしめた。
瞬間 体温がつたわって、余計にうるんでしまう。
「…………しゅん、さん」
「……さいごの約束、果たせたかな」
「約束……?」
「……この前の、朝のやりとりだよ」
“明日も、やさしくしてくれますか?”
記憶からとび出して、映像まで思い出される。
そうだね。そんなこと、いってたね。
こんな小さなことまで憶えていてくれたなんて、しゅんさん、優しいね。
ほんとに、やさしいね…………
「ありがとう、ございます……」
まばたきをするたびに、あふれて止まらなかった。
胸が熱くて、掴まれているように苦しくて、息は うまくすえない。
大丈夫、泣かなくていいから
と
ふるえる声色でなでられる髪が
背中が
ほんとうに、あたたかかった。
「……きみこ、お願いがあるんだ」
「……はい」
「名まえ……よばせて」
キツく だきしめあったまま、そう言われる。
わたしはその意味もよく考えないまま、こくんと 頷いた。
これが、彼にとっての別れの挨拶だったなんて しらなかった。
「……きみこ」
「……はい」
「きみこ」
「はい」
呼ばれるたび
つらくなる。愛しくなる。
まるで別れを告げられているようで、胸がじくじく 痛かった。
体勢が変わる。
まるで押したおされるようにして、抱きしめられる
彼の髪がほおをくすぐって、耳元で 声がわたしをなでた。
「……きみこ、」
すきだったよ
「……っ」
ごめんなさい、ありがとう
たくさんの言葉が、喉のところで詰まって いえなかった。
苦しくて、別れるのがたまらなく いやで、はきだせなかった。
本当に自分勝手でわがままだと思うけれど、俊さんと……
いままでの 俊さんと、はなれるのは、嫌だった。
「……わたしも…… 好きでした」
「……ほんとう?」
「はい」
「…………そっか。さいごに、聞けてよかった」
別れの雰囲気が わたしたちを包む。
さっきまでいた小鳥や船は、もういなくなっていた。
暖かい日ざしが、しゃらしゃらと ふりそそがれる
ここ最近で、一番暖かい日ではないのかとおもった。
俊さんは 笑った。
わたしは哀しい笑顔というのも存在するのだと感じて、胸が ギュッ となる。
「……さようなら。竹内 さん」
ふれられていた手は なごり惜しそうに離れ、もう二度と ふれ合うことはなかった。
冷たく落ちた心臓をとりもどして、わたしも笑った。
「……はい、結木さん」
暖かい日。つめたい風が吹く日。
わたしはきっと、はちみつレモンを作るたびに、結木さんのことを 思いだすとおもう。
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