短編「冷凍さかな」



彼が冷凍さかなになって5週間がたって、
わたしがホットミルクをわかすのに飽いてきたころ 彼のあたたかな瞼が思いおこされた。

「ね……まだもどらないの」

死人にくちなしとはいうが さかなだって似たようなものである。
水もないのにつるりとした頬におず とふれると、そっと たしかめるように首までつたう。

「今のあなたによりかかったって 昨日の晩ごはんしか思いだせない」

 夢をみた。
わたしはその日暮らしの牛乳売りなどではな
く、きらびやかなボディコンオフィスガールで
あなたは 冷凍さかななんかにはなってなく
依然として凛々しく そして頼りになる せいのたかい男だった。

どうしようもないときにあれこれ理由を探して理不尽を受けいれようとしてしまうのはわたしの悪い癖で
でもそんなわたしを、あなたは怒らなかった。
怒らなかったから、冷凍さかなになってしまったの?

 目が覚める。彼は依然として凛々しいさかなのままである。喉がつまる。目がじわじわ熱くなる。

「こういうとき、あんたは人間のすがたにもどってるものなのよ」

さかなは清い目でわたしを見る。あまりにまっすぐすぎて、わたしたちをのこして周り一体がまっしろの無になってしまったようだった。
さかなの目だまはぎょろりと動く。

「キスをしたら」

戻りますよたぶん、と すとんと話す。
5週間ぶりの会話はあまりにも、いつもどおりのささやきだった。




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