いましめ
昔から、わたしはひとつのものにこだわりやすい。
たとえば漫画、思想、もちものとか。
その代表例がSNSだった。
いちばんのめりこみやすいのは リアルタイムで新しい存在であり、なおかつ存在してる人間が操作するもの、つまり偶像だった。
アイドルみたいに、その人がなにをしても「かわいい」でかたづけた。現に、性格がかわいい人が好きだったから。
ここ数年、3年間で毎年推しの人ができていて、好きな人もいれば、縁が切れてしまった人もいた。
全員に共通してたのは「絶対的にわたしから遠い」人であったことと、それでいて「ほんとうに尊敬できる」人たちということだった。
人間は遺伝子レベルで尊敬できる人を好きになる生き物だと勝手に思ってて、そういうところは短所とはおもってない。
でも問題なのはそのレベルで、なにごとにも限度というものがあった。
のめりこみすぎたり、崇拝思想におちいるのは危険だって、これまでの経験からもわかってるはずなのに、やっぱりかえられない。好きだから…
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少し前、わたしを慕ってくれている人からわざと逃げてしまったことがあった。
その人はありがたくも ほんとうにわたし自身のことを見てくれていて、あたたかい言葉や励ましの言葉、そして僕もこうなりたい!というような意気ごみまでみせてくれていた。
ほんとうにありがたくて、でもこんな依存癖のあるわたしに浸かってはあぶないとおもった。
わたしはたしかに正しいのと平等を信じた
けれど、それができないときもあった。
その不安定さから、わたしから一方的に逃げて 傷つけてしまうという最低のことをした。整理をした、と一言でいってしまえばそれきりなのだけれど。
けど、そういうことじゃなかったよね わたしたち…
もうこんなことは絶対したくない。
いまわたしのことを見てくれてる人たちを、失いたくないきもちもあるし、(でもそれは傲慢だし 人はいずれ必ず離れてゆくものなので)
できるだけ いただいた気持ちに報いる形でお礼をしながら、今のやわらかい関係を続けられたら とぼんやり思っている。
依存は悪とはいわないが、わたしの場合 自分に毒になってしまうときがある
あぁ どうして こんなに人はよわいの
どうして なにかに寄りかからないと 生きるのがこんなにかなしいんだろう
なににも寄りかからず、自分の両の足だけで生きてゆく というような人にはやくなりたくてしょうがなかった。
いましめ。
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