短編 「幻のチューリップ」
おかしな夢をみた。
母が庭に、チューリップが咲いているよと話すのだ。
たしかもう 何年も前にすてられたその球根は、静謐な花壇などには据えてなく、レンガのくぼみに身をひそめていた。春がくるのを井戸の中で、じぃっとまっていた。
あるとき外をみれば、ふたつの若い新芽が伸びていた。かすかにチューリップの香りをおびながら、天からのほほえみをうけ、無知で根拠のない自信にみちあふれていた。
わたしは、どうなるだろうと思っていた。
植えたのはもう何年も前だった。今さら花が咲くなんて思ってもいなかったし、ましてチューリップの、レンガから春のみ顔をだすものなんて、記憶の片すみにもあるかわからなかったから。
母がどうするの?と問いかけて、あぁ幻のチューリップだったと思いだす。
「母さんその話は……」
もう終わったじゃない、といおうとして、つぐんだ。
たしかに窓の外には1輪の赤い花が見えた。
レンガの中から、井戸の底から、まぶしく気力にみちたチューリップは咲いていた。
嘘だとおもって近づいて、今日が4月1日じゃないかゆるい腕時計をみた。もう2日もすぎていた。
「母さんうちには……もうレンガなんかないでしょう」
おととしの大嵐のときに、庭のうさぎごと吹き飛んだじゃない。ベスのお別れ会は、とっくにすませたじゃない。
ごわんごわんと頭が不透明に鳴りながら、
とおくでそうだったかしら、ときこえる。
船の汽笛までそこにあるように感じるのはどうしてなの?
窓をあけようと思う。腕時計が落ちる。
「おかえり」
おかしな夢をみた。
母が庭に、チューリップが咲いているよと話すのだ。
あれはもう、母が球根ごと掘り出して、まとめて捨てたというのに。
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