うまれてきた


 あるとき 君は表現するためにうまれてきたんだよ、といわれたことがあった。

それはいわゆる先の視えるひとで、今はもう亡くなっていて、ひそかに有名らしかった。
人によって信じる信じないがあるから周りには言わなかったけれど、内心 あの母がわざわざ訪れるくらいだから、と思っていた。

 ぼんやりと、わたしはわたしの内面を なんらかのかたちで表現するためにうまれてきたこと
人を惹きつける魅力があるというのを思いだしていた。

 前者はなんとなく、暮らしのなかで感じていたことだった。母からそれを伝えられたとき、びっくりして泣いた。
あぁ、いいんだ と純粋におもった。

 後者は、正直最近までそういうのは感じていなかった。だけどよく考えてみたら、自分を表現することのできる場に限って、だれかに気づいて興味をもってもらえることが多いなとおもった。

 だからといって、万人にみてもらえる価値のあるものを文章においてわたしが書いているとは思わないし
どちらかというと、ただひとりで、外はくもったり雨だったり朝もやだったりして、そういう心がおちついたときに、なにかに安らぎたいときに、読んでほしいものだと思っていた。

 昔 部活動のことで悩んでいたときに
カウンセラーの人から、今現在のことを考えることも大切だけれど
先のことを、未来のことを想像してごらんといわれたことがある。

わたしは当時相当よゆうがなくて、未来のことなんか考えれるわけないとおもっていた。
書いていたものもエッセイばかりで、それも過去をなつかしんだり今をなげいたりするものが多かった。

 いまを見ると、エッセイよりも断然 短編や歌詞なんかのもしもの話が多かった。
 
風呂にはいりながら考えごとをしてて、おわってコンセントをいれた瞬間、あ と思った。

もしそれが 未来にむけての想像なら、わたしはほんの少し、前を向けているのかもしれない。

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