短編「駄菓子屋」

過去作。L夢


「あれ……こんな所、あったかなぁ。」
「都会にしてはずいぶんと、緑が多い場所ですね。」


『駄菓子屋』


 お買い物(彼が急に甘いものが食べたいと言い出したため)を終えて、炎天下の中下町を歩いていると 少しの違和感。
それはジワジワとうるさい蝉のせいではなく、街が作り替えられたような……不思議な場所にいる感覚を覚えたから。

 ぼたぼたと汗が頬をこぼれ落ちるなか、瞬きをして瞳に映ったのは 小さな駄菓子屋さん。
「……“昭和”?」
「甘味処、とも書いてありますね……。」
そこは都会の片隅、子どもと蝉の声しか聞こえない まるでタイムスリップしたかのような空間だった。

 だだっ広い単調な道路に、ぽつんと取り残されたお店。
あせた水色で彩られた ひらひらの屋根。
店の外側に配置されたアイスボックスと、ラムネやジュースが並んだ透明の冷蔵庫がやけにきらきらとして見えて、私たちは自然とそこに吸い込まれるように歩き出す。

“きゃははは”
“まってぇ!”

数人の子どもたちが 縦に丸めた新聞紙や帽子を持って走り回っている。
ふと“探偵ごっこ”という文字が聞こえて、彼が反応する。

「……今の子どもは、昔のあそびが流行っているのですかね。」
「たしかに……あっ、あそこなんかゴム跳びもしてるね。」

蝉の声にも負けずに騒ぎ立てる子どもたちを若干尊敬しながら、ここだけ昔の日本のようだとぼんやり思う。


「こんにちは。」
気がつくとお店の前で立ち止まっていた私たちに、声をかけてくれたおばあちゃん。
歳70過ぎくらいの風貌は、どこか私を落ち着かせた。
「わぁ……懐かしい。」
「これが駄菓子なんですね。」
ほう、と感心したようにお家のような店の中を物色する彼につられて、私もくるりと天井を仰ぐ。

 軽く遊園地みたいだと思った。
ふよふよと浮くカラフルな紙風船にアヒルのおもちゃ。
“ハズレ無し!”と書かれたスーパーボウルのくじは、なかなか上一列の大きいボウルが出ないものだから 当たりを抜かれているんじゃないかと子ども心に思ったっけ。
所狭しと並ぶ駄菓子の数々に、自然と浮き足立つ思いになる。

「竜崎は、何をかう?」
「ん、そうですね……。」

甘いものがいいです、とチョコレートや氷砂糖をポイポイと深緑のカゴに放り込む。
私は今日だけは特別、と思って彼の行いを許すことにした。
でも歯磨きは念入りにさせよう。

「ねぇ、甘いものだったらここにも沢山あるよ。」
「ありがとうございます。」

きらきらと目を輝かせて水飴やフルーツゼリーを見る彼が、子どもと大して変わらないように思えて くすりと笑った。

「……この寒天ゼリー、中に丸い餡子が入ってて 表面は荒砂糖をまぶしてあるんだって。」

カラフルなそのゼリー菓子は、透き通った色の奥にうっすらと丸い餡子が沈んでいて、沈没船のように見えた。
沈没ゼリー……ふふ。
面白くてつんつんとつつきながらどれを買おうかと迷っていると、彼がひょいとピンク色のそれを摘んで、自分のカゴの中に丁重に置いた。
「これは私の奢りです。」
ビシッと親指と人差し指を立てて自慢げにこちらを見るL。
駄菓子の中では割と高い55円の値札を見て、紳士だなぁと考える。
「ありがとう……。」
「なに拝んでるんですかいちご。」
こんなことをしていると、昔の感覚を思い出す。

 小さい頃は、毎日のお小遣いが30円で、よくそれを握りしめて駄菓子屋に行ったっけ。
少ないお金でなにを買ったら有意義なのか、1回10円のくじを引くか引かないかなんかをぐるぐると、考えたりもしたなぁ。
お金が120円くらいたまった日は、特別大きな買い物もしたっけ。


近所の友だちと、買ったものを取り替えっこしたり、アイスのくじが当たったり、外れたりしたことをまるで盛大なニュースのように騒いだりして。
本来、駄菓子屋っていうのは そういうところなんだろうな。
過去を美化してしまう癖があるのは分かっているのだけれど、なにか、無邪気で無垢で、ずるい子どもが、どうしようもなく羨ましくなることが時々あった。

「いちご、どうしました?」
「あっ、ごめんね。何を買うか迷っちゃって……。」

Lが子どもの時はどんなだったのかなぁなんて、ここにいると余計なことも考えちゃうな。

「お嬢ちゃん。」
「?はい。」

呼びかけられて、振り向くと、にっこりと笑
うお店のおばあちゃんが。
まるで魔女のようだと、悪意はなく 雰囲気からそう思う。

「迷っているなら、これはどうだい?」

差し出されたのは、荒っぽい字で“サイダー”と書かれた小さな小瓶。
しゅわしゅわと泡立つ中をよく見ると、中には黒い影がふよふよと動き回っていた。

「ひっ……!」
「……なんですか?これは。」

Lがひょっこりと肩から顔を覗かせる。
甘ったるい砂糖漬けの瓶の中で生きている何かが、とてつもなく怖いと感じた。

「これはねぇ。今子どもたちに大人気の“おもちゃ”だよ。」
「え……でもこれ、サイダーって……。」

使い方は 人それぞれなんだようと、にんまり笑うおばあちゃんに若干の恐怖を覚えながらも、抗えないような見えない力を受けて 私はそれを買ってしまった。
1本60円だった。



お店から出ると、待っていたかのように大合唱を始める蝉たち。
夕焼けが街を包んで、暑さも少し和らいでいた気がした。

「風がなまぬるいね。」
「ええ。」

遠くでとうふを売る声が聞こえる。
通り過ぎる自転車に、まだ走り回っている子ども。
私たちも、公園でひと休みしていくことにした。
「いちごは、何を買ったんですか?」
「ん、前から好きだったヨーグルに キャンデーときなこ……。」
とにかくいっぱいかなぁ、と 数えるのが面倒になって笑った。
合計250円とは、駄菓子屋にしては結構な買い物したなぁ。
「Lは何を買ったの?」
「私は……。」
彼も面倒なのか 名前が分からないのか、買った袋をガバッと開いて見せてくれた。
そこには甘いものが端から端までびっしりと詰まっていて、こんなに甘いお菓子があるのかと、逆に感心してしまう。

「……虫歯になるよ?」
「大丈夫です。いちごと一緒に食べますから。」

へら、と笑う彼がいとおしく感じてしまうのは、きっと夕焼けのせいだ。
彼の首筋を伝って落ちていく汗の粒と、ラムネの水滴が落ちたのはほぼ同じで、時間が止まったように感じていた私の脳を ゆっくりと覚まさせた。

「いちご、口を開けてください。」
「え?」

少し恥ずかしく思いながらも言うとおりにすると、じんわりと広がっていく荒砂糖の味。
長四角のそれは、ざらざらという食感をあたえながら歯が痛くなるほどの甘味を残して、どろりと溶けた。

 後に残ったのは 丸い餡子。
最初から最後まで甘ったるいそのゼリー菓子は、彼が私に買ってくれたものだと包み紙を見てわかった。

「めちゃくちゃ甘ったるい。」
「お礼はないのですか?」
「……ありがと。」

いたずらな彼の微笑みを見て、ずるい大人だなぁと思った。
そして、きれい。
あとで私も、何かお返ししよう。


 時間が経って、のどの乾きを感じた頃に あの“サイダー”のことを思い出した。
本格的に日が落ちてきたと思ったときに、タイミングよく夕方を知らせる“夕焼け小焼け”が流れ始めた。

「耳に心地良い音楽だね。」
「そうですね。子どもにとっては、嫌なものなのでしょうが。」

そうだね、と頷いて私たちも帰ろうとしたその時。
子供たちが近くの茂みから、川下から、お店から、あちらこちらから一気に公園の中央に集まり出した。

「え……え?」
「どうしたのでしょうか。」

当たり前のことから突如背きだす子どもたち。
それは衝動というより、なにかの習慣、約束、“絶対的ななにか”によって支配されたような行動だった。
みな無表情で、手にはあの小瓶をもっている。
“サイダー”

「時間だ。始めるぞ!」
“わあああ!”
“きゃあきゃあ”

私たちは呆然とした。
子どもたちは、それぞれの手に持った小瓶を、力いっぱい地面に叩きつけ始めたのだ。

「え……?」

“パリンパリンパリンパリン”
“きゃははは”

吹き出す炭酸入りの甘ったるい液。
びちびちと跳ねるなにか。
黒い、なんの罪もないなにかは、私たちの目の前で、鈍い音を立てながら踏み潰されていった。

“ぐしゃっ”
“あはははは”
“ぐしゃ”

 きっと、子どもたちに悪意はない。
みんなきらきらとした目で、もう動かなくなったそれを 狂ったように踏み続けている。
止めようかと思ったけど、“習慣”を変えることは、どこか悪いことをしているような気持ちになってしまって、できなかった。
手に握ったそれを、庇うようにしてうしろに追いやる。

 その時間、そこにいる間、私たちは“絶対的ななにか”に囚われ続けた。
今思えば多分、あそこは昔の日本だったのかなと、沈没ゼリーを食べながらそう思った。

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