おしまいのうた


「だって」

 水際の針が落ちた。音もなく、湖は知り、天使のまぶたに触れるよりそっと。
瞬間、呑み込む。ヒュッ、と、原子爆弾が眠りからさめるように。そのほとぼりが、層底に惹き込まれるように。

 聖書が、わたしは聖書がほしくて、針をなげた。正当な対価は与えられずとも、知っているものだと思った。自分だけの聖域をそれに閉じこめて、わたしだけがわかればいいと思った。知らないものは知らないものとして、湖畔の奥底に眠っていればいいと思った。

福音が、誓書と混じり合い、わたしは、穢れていないことの証明をする。やさしいうたが眼球を貫く。あまりに繊細な針、そこを通ったことさえ嘘になる。女神の象は、首からおれた。

 聖域を燃やして、帰れなかった塔の後ろでゆびきりうたを唄っています。ゆきばをなくした少女は約束を裂いて、湖に泣きました。100より信じられないものはないと、あらゆる事象に絶望しながら枯れた声で歌いました。わたしはそれを知って、笑いましたどうしてよいかわからなくて。なぜなら聖書にはそれがないから。ひとりきりで生きるためのバイブルに、他人の干渉する余地などひとつも存在しなかったから。

 明るくなる。糧を蒔いて、終わりにしたひとつひとつの警鐘を打ち砕いた。なにもかも、知り得ることなどないはずだった。わからないことが、わたしの聖書を構成していた。

 鐘が鳴る。今度こそ、おしまいだと思う。わたしはわたしを抱きしめた。紙切れの束を、抱きしめて蹲った。神様は笑った。哀れな肉のかたまりだと、かわいそうだからやさしくした。かわいそうな生きものにはやさしくしなければいけないと教えたのは先生だった。先生。わからなくなったら教えてください。この世の明朗神秘の結晶を、あなたがすべて決めてください。正しいこと愚かなこと憎きことを、全てあなたが決めてください。わたしはそれでいいのです。決められたことにしたがって、やわらかな抱擁のなかで死にたいのです。ゆるしてください。もう本当に、赦してください。耐えられないのです。羊のうたが。かわいそうな生きものだけが発する、かなしみのメロディーが。幸福の旋律は果の地から流れ出し、血のようにながれた。ぼたぼたと薄気味悪い、あまりに繊細なうただった。

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