日記
1日を振り返って、はっとする。「おねえさん、お友だちにならない?」って、それが全てだった。
7歳の女の子。お砂場遊びをしたあと、少し遠慮がちに、そっと。
その時は気づかなかったけれど、今思い出して、そうだったと思う。この子はわたしを人として見ていた。わたしはアルバイトとお客という自覚があって、子ども達のことをお客さんとして見ている。だけどこの子達は違う。「友だち」という言葉に全てが現れている。「プレイルームのおねえさん」ということは知りながらも、それ以前に、目の前のわたしを人として見てくれていた。
子どもは本能的に人を見抜く。無防備な子どもは無意識のうちに、身を守るために近寄っていい人物か、敵か味方を判断する。
だから、怖いと思っていた。子どもは大好きだけれど、この仕事が務まるか、受け入れてもらえるか不安だった。生きた年数がどれほど短くともそこにいるのは1人の人間に変わりはなくて、わたしたちは対等だった。
目が合った。どうしようと思った。精一杯の勇気をだして、「こんにちは」っていった。女の子は挨拶を返して、「いっしょにあそぼ」と笑った。何の迷いもない目をしていた。屈託のない、目の前にあるものが真実だと疑わない、無垢をたたえた瞳だった。
いいよと笑いながら、泣きそうだった。そうだね。わたしたちはそうだった。楽しいから嬉しい、悲しいからつらい。怒った時は感情をぶつけたり、思い通りにならなくてわがままを言ったりする。わたしたちは本来、あらゆるものに素直だったね。
「おねえさん、お友だちにならない?」
思えばこの子たちはきちんと順序を踏んでいた。まず挨拶。次に会話、そして遊び。はじめはお互いしずかな警戒があって、時間が立って互いを知ればやわらいでくる。それがあまりに自然だった。不純なものが何一つない、ただ清潔な流れを見ているようだった。知らないことは命とりだけれど、同時にまっさらな関係を生んだ。その終着点に、友だちという関係があった。
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