ばかげた半透明の鱗


 あたしンちの動画をずっと見てた。特にユズヒコの回が好きで、一人深夜食堂、そうめんをきっちりとゆがきたい回などを繰り返し見ていた。
 あたしンちの家庭で和む。見ているうちに不安になったり、ん?と思うことが度々出てくる。でも最終的に和む。どこもこんな感じだろうから、というふらふらした理由で。父親の威圧的で気ままで、あのがらんどうな感じ。母親の耳にくる、しかし慎ましくもあるあのしきりに途切れぬ話し声。わたしはあの、母親が喋るのをパタリとやめる時のことを想像する。恐ろしいと思う。ふだん執拗に誰かに問いかけるような、話していないと保っていられないような不安定さはなんだろう。自問自答を繰り返しているともとれるあの語りがなくなるとき。あれがなくなるとき、全てがしずかになると思う。

 妹がパソコンに向き合って帰りの会を受けている。帰りの会は小学校だけじゃなかったんだな。手のひらを眺める。ひどく青白く、艶を含んでいる。そのせいでマニキュアのピンクだけが嫌に目立つ。塗ったのはまだ三日前だというのに、中指の塗装が少し剥げている。上の階から地響きのような音がする。夜中だったら完璧だったのに。きっと地獄みたいな音がする。それで、チェンソーマンを読んだら、地獄の四肢をもった怪物が、遊びにくる。仲間だったって。

 ずっと眠れなかった。一睡もできずに、座ったまま布団をかぶって寝ようとした。寝れなかったから、くまの抱き枕に倒れかかるようにして眠った。背骨が折れるような痛みはどうしてだったんだろう。
 空に虹がかかる。4 P.M.という記号がポップ体で浮かびあがっては消える。白いふちどり、と、思う。まばたきをしたら線の細い明朝体になって、ああ、吐きそう、と、思う。なんで気持ち悪いもので空は成り立つの。

 少女の吐くうつくしいため息が、誰かの心臓になる。鬱病になった博士が愛したのはレトリックなナビエ-ストークス方式の解の存在と滑らかさ。かわいそうなポスト・メリーディエム。きっとほんとうのことは全てヤギが呑んでしまった。あの悲劇の晩に、君もおかしくなってしまったんだね。やさしいうたを唄うよ。君だけのために贈ろう。

 めがさめる。いつもすべてがうつろな目をしている。びいだまは薄汚れ、もう羊の眼に留まっておくにはしまりがない。
 手には人形。手足がぼろぼろに朽ちていた。何か喋っている。「ありがとう」しきりにわたしを苛める、かわいそうないきものたち。

 かわいそうないきものにやさしくした先生は、みじめなものがかわいいとわたしに教えた。わたしも、そう思った。みじめだからかわいいと、信じて、可哀想になりたがった。
 悲劇の1ページだけ大切にとってたんだ。色んな国の色んな文学から根こそぎ、可哀想なそれを集めては縫い合わせた。完璧な悲劇はもはや喜劇だった。

 先生。先生が眠りにつくあいだ、ぼくはいつまでも起きてたんです。ほんとうは、羊の数など数えられなかったんです。羊は増えては減ったから。ぼくは先生の帰りを待って、でも、どこで。
 こんな愚かな僕を見ないでほしい。見ないで、消えろ!消えてくれはやく、お前なんか、ぼくは、信じたくない。先生を結晶にして本にする論文を提出したのは僕です、学会は、ぼくを、見放しました。でもそれでよかったんです。きっとなにもかも、それでうまく回るようになっていたのです先生。前を見てください。無数の銃口に、塩の結晶ができていますね、あれ、二年生の自由研究でやりました。ぼく、あんなのほんとうは、したくなかったんです。本当は、試験管をたくさん並べて、それぞれ違った赤だの青だのの色水がすきとおり、それに紙をひたす、あの、皆の羨望するまなざしを、僕は独り占めしたかった。先生。僕は、だって塩の結晶なんて、うちの図鑑で一年生のころに、知ってしまっていたのだから。


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