忘れるお姉さんと忘れないわたし*
もの忘れが多いお姉さんと仲良くなった。
そのお姉さんは図書館に勤務していて、江國香織とか宮沢賢治とかよしもとばななだとかの作家が好きで、色んなところがわたしと似ていた。
たとえば、スターバックスで勉強ができないとか、ひんやりとしたデザートが好きなこととか、絵本がすきなこととか。
わたしはそれらに親近感をかんじて、図書館にいくたびに 色んなことをお姉さんと話していた。
昨日のご飯の話から、話さなくてもいいようなことまで
わたしひとりで抱えていたいと思っていたことまで、ぽろりと話してしまうような雰囲気をもった人だった。
わすれる
ただひとつ違ったのは、お姉さんは忘れる人で、わたしは忘れない人ということ。
なにが、というと「楽しいことを忘れるか、忘れないか」ということだ。
わたしは嫌なことはわりと忘れるたちで、そういう性格だから、いやなことはたくさんあるけれど結構たのしく生きてきた。
お姉さんはわたしの反対で、嫌なことはおぼえているけれど、楽しかったことや面白かったことはどんどん忘れてゆくのだという。
びっくりした
たとえば、脇道をあるいていて、勉強をしていて、目玉焼きをつくっていて、
ふとした瞬間に楽しい、くだらないことを思い出して ふっと笑うような
そういう瞬間がないということだ
楽しかった記憶が消えるというのはわたしに
はよくわからなくて
わたしはもしそうだったら、生きてゆけないだろうと思った
わたしが今日まで生きてこれたのは、これまでの人生のかけらを美しいものに昇華して、思い出としてしまっておいたからなのだ。
お姉さんは、そんなわたしを羨ましいといった。
でも、わたしは嫌なことをまったく
現実逃避のように 忘れてしまうのもどうなんだろうと思っていた。
だって、ほんの1、2年前にわたしは毎日泣いていて
でも もはや、わたしは泣いていた理由をおもいだせない。
これって、ものすごくかなしいことなんじゃないのかな
わたしは環境が変わってしまえば
過去の苦しみとかつらさとか、感じていた あの頃のきもちを忘れてしまう。
なかったことに しようとしてしまう。
つらさを越えて得た知識とか経験だけを、上手にすくいとって。
きっと、そうでもしないと、無理にでもわすれないと、わたしはやっぱり生きてゆけないのかとさえ思ってしまって苦しい。
わたしはなんだか じんわり泣けてきてしまう
そう思うとお姉さんが、とてつもなく強いひとに見えたのだ。
つらい経験を思い出を背負って生きてゆけるなんて、なんて強いひとだろう。
あのころの哀しみや痛みを
わすれて
まるであの時のわたしはいなかったかのように、これからも平然と生きてゆく自分がとてつもなく嫌だった。
わたしは泣いた
そのあとは、初めて行ったアーティストのライブの話とか、わたしの親友の話だとか
中学校におもしろい先生がいたこととか、お父さんの車がひかることだとか、ほんとうにとりとめもない話を たくさんした。
生湯葉シホさんが、いつかの日記で 自分は見ず知らずの人に身の上話をされやすい体質だと綴っていたけれど、
ほんとにそういう雰囲気を携えた人はいるのだと思ったし、わたしのように見ず知らずの人に身の上話をしてしまう体質の人もいるのだと思った。
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