6がつ

6月がすぎました。
2019年の、6月のなかでわたしが感じたことの記録。メモしていたとりとめのないつぶやきです。



人がこわいので学校以外の外にいるときはまじで 誰もちかよるな!話しかけないでちかよらないで!てオーラ出しまくってるのかなしい


わたしを守ってくれる世界じゃなくてもオープンでありたい


さいきんになってわかってきたのが、わたしは尊敬するものがあれば大体つよくなれるということと、求められても なにかいわれても わたし自身でおもったり、考えたりしないと なにも感じないということ
最低だけど これこそが、ともおもってしまうな


だれのためにも生きれない
おこらないで かなしまないで


わたしは父に溺愛してそだてられて
母はそんなわたしをにくみました
もうしわけない
もうしわけない
でも わたし そんなふたりも好きだった
愛されているという実感も、肌が粟立つくらい、すきだったの


最近ほんとにおかしいけど、ギャルと、ゆきちゃんが好きということだけはわかる


言葉にできないものが絵とか音だとおもってる
おしえて おしえて


最近、人に どうして?とかなんで?って聞くことがほぼなくなったって気づいてショックだった
好奇心なくなったら おわりだ


葉っぱは なつになる前に枯れてしまった
いつも まいにち世話をしても 枯らしてしまったり、しんでしまったりする
生きものといっしょにいきるのが とても向いていない かなしい

枯れてしまう前に、とても
青々とした
きれいな花をさかせました
写真に残しておけばよかったな


わたしも死ぬ前には 頭を馬鹿みたいな色にそめたいな


ダンス・ダンス・ダンス!おどろ〜!ハピ!てきぶんで生きてゆきたいな


でもこればっかりは性格だから、
考えすぎちゃうくせはなおんないし、かなしいときはずっとかなしい
でも、そういう中で楽しいことをみつけようとしてるときは、すごく、わくわくするよ


ばり足速いかぼちゃにのってどっか行きたい


リアルが充実するのと、インターネットが充実するの、どっちがいいんだろうってふと 考えた
どっちもかなしくてわからなくなった


かなしい
わたしもお母さんも
ひとに想いとか せかいをはなさないで、たったひとりでそれを抱えて生きてゆくことを 美徳としている
それをささえに生きている しねないから


はやく走ることができていいねとあざけられたとき、わたしはなんとも言えないきもちで微笑んでいた
泣きたかった
かわれるのなら、そうしてあげたいよ、とおもった
わたしはあなたになれない
あなたも、わたしになれないだから
生きてほしい ひとりで
わたしもそう、しているように


ずっと夢のなかにいるような ふざけた性格してるから ごめんね


わたしには もう わたしをなぐさめてくれる人も
尊敬できる人も ちかくにはいないんだと思うと りかいすると
ものすごく楽になった
らくになった


だれにもしられない場所で しずかにこぼれてくれる涙は 幸福


なにがかなしいのかわからない
両の手のひらで 顔はつつまれて
あたたか
わたしだけ いる のが、泣くみたいに うれしい
病んでるんじゃなくて ひとよりかなしいときがながいだけ


かなしさは わたしの免罪符
明日への ささやかな希望


なにもかも全部、じぶんひとりで解決してゆくんだとおもうと、とてもとても 楽だとおもった
えらんでゆく権利があるのだ
えらべるんだ、わたしも
いろんなことを、きりすてたり、育んだり 両手に つつみこんだり。ぜんぶ、わたしひとりの重みで


結局は 泣いたもの勝ちみたいだって、おもったりもするけど
泣いたからがんばったのが報われるわけじゃない
報われたいから 泣くわけでもない


人の前で なきたくない
外だけではせめて、つよいわたしでありたい
でもときどき、何に対して意地はってるのか わからなくなる


ホットミルクのうえに 干されてべたべたに甘いシロップにつけられた オレンジがのっている
今日もいいひだったな


ここに どっしりとしたホットミルクがある
それ以上でも以下でもない
なにもかも もはや このホットミルク以外 どうでもよいことのようにおもえて、わたしは


わたしに絶対なんてないから、いまの瞬間だけおぼえててほしい
いつ消えても なにがおこっても受け入れられるように
みんなそうだよ バカみたいに軽い いのちのおもさ


わたしの本、わたしがいなくなっても読んでほしい
DIOのこと もっとすきになってね


ほんとになににもなれなくていいし、偉い人にも、なにかの名人にもならなくていい 幸せになりたいとも思わない
ただ、楽しくありたい ずっとひとりで踊ってたい


ものの考え方や礼儀や人との関わりや勉学、これら全ては勉強したり知識を得たり人との繋がりの間で培ってきて、もう年相応ではない
でも、感じかた、世界の見方とか感性だけはすなおな子どもの視点そのまんまだということが、わたしの強みなのだと気がついた今日


以前どこかで見てもらったとき
わたしの生まれた理由が、わたしを何かしらのかたちで表現することで、わたしの人生の課題が 子どものままの感性を失わずに自分らしく生きることだったの、すごく 好きで
今まで悩んだりして生きてきた分ぜんぶ むだじゃなかったって思えてうれしかったな


みんなと同じがダメなんじゃなくって、ひとりひとりの個性とか良さが認められるこころの余裕をもつ人が増えてほしいって思った
自分自身に余裕がないのに人にやさしくはできないよ


こうして わたしを分析することでなにを目標にしたらいいのかがわかってきて、また明日 しなないためにがんばる準備をしている


江國さんの童話集、うっとりするくらい柔らかで匂やかで
とてもとても きめ細やかな絹のようで、それでいて黄金色のわたあめみたいな感覚をのこして、さらりと消えてしまう あと味


これからわたしは色んな経験をして、そして色んなところにいくんだろうけど、結局根本的で もはや慢性的な淋しさとか、どうしてもハイになりきれないわたしを責める日々が周期的に訪れるんだろうなとか、かんがえるたびに憂鬱になってしまうね


でも理由わかんなくて
かなしいことや痛いこと、逃げ出したいことはたくさんあるけれど、それが直接的な理由じゃなかった
だって、ぜんぶ解決したとき、幸福になったときですら、わたしはかなしかった


明日は忙しいからがんばりたい
たのしいことは、みつけようと思ったら現れるから、そういう気持ちのかるさで生きていたい


永遠にあんしんしてたい
安心することと、お金を貯金することと、おいしいご飯をたべることと、すてきな友達と会話をすることはこころの余裕をふやす


わたしがあのブログサイトをえらんだのは、どことも、繋がってないような気がしたから
だれもしらない、どことも繋がってないようなふりをして、着飾ったフランス人形みたいに
そんな可愛さと健気さが融合してて わたしは飛びついてしまったのだ


バブルバブル トラブルシューティングの鷹はまいにちNIRAMEKKO.com


素材そのまんまがすきだ
食べものでも、飲みものでも、すこし手を加えたくらいがすき
絵とか、芸術とよばれるものも、その根底にあるしんじつがなによりすき
そこにはだかで触れるとき、ほんとうに涙がでるくらい、生きていると感じるよ


ゆびさきのケアをしている時間だけ わたしのことを女の子だっておもえる


じっさいめちゃくちゃ辛くて余裕がなくてまいにち何かに悩んでいても、でも絶対に!外ではへらへらしてたいっていうのだけはわたしのなかですごく大事…になってる バカみたいでしょ…
でも、これこそがって思ってしまう


かるく見られたい
全速力で生きて100%で生きて駆け抜けて、勝手に死にたい
だからそんなふうに振る舞えた日はきまってごきげんになる
素敵な日だったっておもえる
こころのもち方だけで わたしはいくらでもおどれる!!


友だちと とりとめもない話をしてた。
最後らへんに、ぽつりと もうやめたい
って言葉がこぼれて、なにをやめたいのかも、わからないまま
ぼんやりわらっていた


再販がおわったら 今度こそほんとに ありかたを考えたほうがいいのかも
そもそも、わたしは 忙しいまいにちから、離れたいのか
それとも 絵に執着しているのか、わからなくて ただただ、かなしくて、こわい


なんにもわからない
義務のようにいきてる


小学校のころ、妖精がみえる友人から 妖精をひとりわけてあげると言われて、変な話だけどあのころのわたしは本気にしちゃって、見えないけどほんとにいると信じてた


まいにち学校につれていっては放課後に駄菓子屋さんで50円のチョコをかってあげてた
その子から ほんとは妖精みえるっていうの 嘘ってきかされたとき、人生で1番ショックで しばらく立ち直れなかった
母は ほんとに信じてたんだってわらってた
信じてたよ
今でも そういうひそかな不思議なものに惹かれる


そういえば、いつからわたしは探すのをやめてしまったんだろう
ほんとに気づかないものだな
ユーモアとか、きもちの純粋さって、いつのまにか失ってたりする


友人が、信号待ちしてるときってよく肩にカマキリとかカナブン乗ってくるよねって言うんだけど全然きもちが分からなくて親戚に正月に会った時みたいな愛想笑いしかできなかった
肩にカマキリってなんだ


大人になって、あのときはこうだったって、今こんなに苦しくてかなしい時期を 恥ずかしい思い出にしちゃうわたしが怖くてかなしくてたまらないし、時間は全てを解決してしまうから、そんな時期が絶対にきてしまうことが かなしい


中途半端におぼえてるから、こんなことなら全部はしから忘れてゆくような性格だったらなって思うよ


わたし 素敵なことも、かなしいことも、全部じゃないけど、断片的に 呪いのようにおぼえているよ


絶対わたしは5年後くらいに、
いやーあのときはキツかったけど、でも結果的にすごく成長できたし いい時期だった!なんて笑い飛ばすんだと思う
うるせぇわたしの無我夢中で生きた時間を数十秒でまとめんな


ミカンって書くとミカンジュースってかんじだし、みかんって書くと 冬にこたつでむくみかんみたいだよね


大人とか子どもとかって、区切りが曖昧で、もういっそのこと細かいところまで決めてくれよとさえ思ってしまうよ
こういう行動は大人で、この発言は子ども、とか、そういう、訳の分からない縛りでさえ、ほしいと、おもってしまうよ、、


色んなことをわたしは わすれて
わすれられる性格ならよかった
わすれるのは 武器だ


うれしい!とか楽しいとか、ありがとうみたいな感謝の言葉とかは声に出してたい
かなしいとかキツいとか、マイナスな感情はあんまり声に出したくないね


もうどこへもいけない
もうどこへももどれない
ってきもちは、いつになったらくるの


よくキリンのゆめをみる
カムチャッカの若者みたいだとおもった


港町がわたしのなかによくある
気球もたまにうかんでる
そういうところで生きてみたい
泣きはらした朝の目のじくじくとした重みが、ずっとしていた


いつもゆらゆらしてるし ぼんやりしてしまって、だから活動的な人を見ると羨ましくなる
わたしも毎日激しく生きていたい 命をすり減らすように激しく、いやらしく


ふつうの人でありなさいってよく言うけれど、ふつうなんてその時その時の流行とかにも左右されるよなと思う
身だしなみだけそれらしくしていれば案外バレないものだし、ふつうってなんだよって思う
くだらん


目立ちたいとか、他とはかわった自分でありたいとかじゃなくて、単純にわたしのなかにある世界がたのしくて、目にかかっているフィルターとかそういうの、変えたくないと思っているだけだ
わたしがひとりで楽しむだけなのに、迷惑かけないのに、なにがダメなの?っておもう


あとモンシロチョウとフジツボも本気で嫌だ
モンシロチョウは飛びながら追いかけてくるしフジツボとは生き方が合わなすぎて無理


せっけんのやさしい香りがただよってる
すこし伸びた髪に手ぐしをとおしたら マシュマロと果実のやわらかな匂いがする


アスパラガスも、つみきも、
テレビも、やさしいくるまだって、切ってしまえば断片は 静かでつめたい黒だけだとしっていた


いつまでもそういう夢ばかり見ていた
いつもわたしの夢にはきまった女の子がでてきた
妙子という名前の 顔が曖昧な。
わたしは毎日 その子といっしょに生きているのだ
半分眠ってるような かんじで
いつか名前 とりかえしにきそうだ なんて思いながら


泣く もうかんがえたくない
なにもかんがえたくない


わたしが考えてもどうしようもないことで悩んで泣く日をおわりにしたい
わたしが泣いたって貧困や差別や偏見や格差はなくならない
わたしはひとりでいい
どうせ最後にひとりになるのなら、はじめからひとりの練習をしてた方がいい
そしてひとりでも踊れるようになったとき、はじめて楽しく生きるのだ


置かれた場所で咲きなさいなんて本大っ嫌いだし、見下されるのも同情されるのも大嫌い

だからわたしは これからも止まらないし戻らない
何回折れてもぜったい進み続ける
ずっと
進化してたい


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