もう かわらないでよ




心が

その ひとつのことしか考えられず、
それひとつだけで、これまで生きてきましたというような体になるときがある。

そうして必ず
文章として、書きとめておかなければいけないという 義務感にかられて

わたしは 今、水辺にいる。

ごうごう ドウドウ
いう
断続的な、水のおとを きいている。

近くには、目にやさしい若草のそばでストレッチをする男性と
川をはさんだ向こう岸に
まるで夏を絵にかいたような、虫取り網をもった少年とその親がいて
親というより、その子どもが大きくなったふうに見える。


 告白すると
わたしは、かわることのない風景を求めていた。

きもちがわくわくとして、もう耐えきれなくなったとき
わたしはきまって 思い出の地に行こうとする。

行かなければいけない
いかないと、ぜったい死んでしまう
そんなわけのわからない きもちだけを抱えて、わたしは水辺にきていた。


 視界のよこで、先ほど自転車ですれちがった老人と、3びきのチワワが追いついてくる。

まぶたを閉じれば
蝉の声、水
そして 地球が生きる、風の音だけがそこにあった。

ゆるりと、目をひらくと
世界がぜんぶ、わたしのとこだけ、ぼんやりとしていて


 川は、ほんとうに 変わってしまっていた。

ベンチというベンチが、ひとつもなくなっていて
あの、さかなを殺したベンチも、もうなかった。

あのベンチは幼いころ、友だちと何回も 数え切れないほど座った、古くさいベンチだった。
タバコのあとと、ハトのフンがあった。

でも、わたしたちは たしかにそこで、青春をしていたのだ。

何年も前なのに、くっきりと
そこだけ彩度を高めたように おぼえていた。


あの日は、つよい風が吹いた。
あまりにも澄んだ 健康的な空だった
そうして、しんじられないほど わたしは幸福で

「あぁ、いま この瞬間を 青春っていうんだ」
と、4年生ながらに思っていた。

たぶん、生きてきた中で 
あの 友だちと空を見あげた一瞬だけが、わたしの青春だったんだろうと 思うくらいに。


 水辺へと続く土手は、「危ないから入ってはいけません」という張り紙とともにロープが張っていて、はいれなかった。
それはわたしには、いきすぎた 過保護な親の教育を思い起こさせて。


さびしいなんてものではなかった。

変わらないものをもとめてこの地にきたわたしには、

あまりにも
いきすぎた 
衝撃だったから。

わたしの知らないところで、わたしの思い出が、
誰かの今として、
着々と変化しているということが 身にしみてわかってしまった。

なまぬるいかぜが わたしをとおりぬけてゆく
もはや、つよい紫外線など気になっていなかった。


 なにもかも、変わりすぎていた。

でも
ただ そこに流れる水だけが
しずかに、数年越しに、わたしに語りかけていた。

なきそうだった

水は、当たり前のように、さらさらと流れていて
たえまなく生まれ続けているもののはずなのに
そこだけ まったく変化せずに、あの頃のままのようにおもえた。

水は、世界の中での循環をとおして、わたしのところにかえってきたようで

蝉の声さえ きこえなくなる。

あのとき、あの瞬間、
あのみじかく低い橋の上だけ、たしかに時間が止まっていた。

水はすぐつかめそうな距離にあって
わたしと水を隔てるのは、校章のついた制服と、左ての自転車だけだった。

まぶしく澄み切った太陽を反射して
水はしきりに一瞬一瞬でかがやき、さわりたい衝動はとめられない。

やわらかな若草色の草の上をなめらかに、
ただひそやかにさらさらと流れる水を、わたしは このうえなく愛していた。

それはあまりにも 脆くはかなく、まばたきをしただけで 一瞬できえてなくなってしまう感じがした。


 少し歩くと、道は深い緑と陰りの黒が入り交じった、あやしい風景へとかわる。
じっとりとしていて、蝉の声がうるさかった。

ずっとそこへいてはいけない気がして、わたしは降りていた自転車にすぐに飛び乗る。

姿勢をひくくしながらくぐり抜けたのが、今いる場所だった。


ゴオオ、オオ


 そこは先程のけなげな水のようすとはうってかわって 激しく生きていた。
すぐにでも わたしを飲みこんでしまいそうだった。
よどんで力の強い水が 代わる代わる行き来していた。

わたしはこわくなる。
危険を知らせる張り紙も、もはやここにはなかった。

やっと見つけたベンチに腰かけると、足元には小学生の男子がすきそうな単語の、落書きがきざまれていた。

息をつく。
あまりにも、わたしには刺激が大きい日になってしまった。
安心をもとめにきたのに。
なにもかも、反対にうごいてしまうことたちが にくかった。


 まだ 夢のなかにいるみたいなきもちは消えないのに、

まぶしい日差しはなくなって、すこし冷えた風の温度と 鳴り止まない夏の音だけが、わたしのとなりで流れていた。

わたしの止まっていた時間は、ようやく動き出す。

わたしも、ゆっくりとでも 前に進んでいかないといけないのだ。


やっぱり
かわらないのは くまだけだよ


そうおもって 錆びた自転車のストッパーを外す。

ガチャンとけたたましい音がしたけど、
すぐに 水の音にかきけされてしまった。





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