わすれる
ポコン とひとつ、記憶が思い出されると
その記憶の帯は、ゆるやかに、すこしずつ
紐とかれていって、やがて次の記憶を導きだす。
小学高高学年の頃
庭でとれたいちごで、母とジャムをつくった。
味はよく覚えていないけれど、童話に出てくるようなちいさなアルミ製の鍋で
グツグツ煮立ついちごが、この上なく匂やかで、鮮やかなペンキのようだったと思いだす。
幼稚園のころ
その夜わたしはとても目がさえていて、
家族の中てだれよりも早くめがさめた
お腹がすいて、母を起こそうとしたけど起きなかったので、自分で冷凍庫をあけて「おさかなのピラリ」を取り出した。
いつもお母さんしか触らないそれをわたしがさわるというのは、特別な緊張感とある種の高揚感があった。
自分でお皿をだして、自分で分量をはかって(たぶんアバウトだろう)、自分で電子レンジのボタンを押した
全部が初めてのことで、うっすらと明るくなってゆく
まだ薄暗い、ほんのり白めいてゆく空が少し幻想的だった。
電子レンジのなかでオレンジ色にかがやくそれは、ほんとうは高菜ピラフという名前で、母からは、幼稚園なのにえらいとすごく褒められた記憶だ。
幼稚園のころ 2
わたしは幼稚園のころ、たまごっちに出てくるふらわっちが好きだった。
当時は名前をまちがえて覚えていて、とうぶんの間はふらわっちを「ふわらっち」と呼んでいた。
その節はふらわっちに申し訳なかったと反省する。
ぼんやりと記憶にのこるのは、あの頃のわたしはひたすらにたまごっちのカードを集めていて、そのすてきなコレクションは、今になっても大切な思い出のひとつだということ。
たしか、めめっちのカードには、血がついていて それは車の中のわたしの鼻血だったように思う
おじっちのカードは、ホログラムで虹色にひかっていた。
幼稚園のころ 3
母とまいにち行っていたスーパーは、大きなコスモス畑の横にあった。
スーパーには、いつもレジをすぎた少し先に、生気のないおじさんがいた。
おじさんはひょろりとした体つきで、背が高くて栄養不足のゴボウのようだった。
いつも、幽霊みたいな目でわたしをみていた。
わたしは、それが怖くて、ほんとに 同じ人ではないと思っていた。出口付近においてあるスープやらデザートやらの作り方がかいてあるちいさなペラ紙をいつものようにもらって、逃げるようにそこを去っていた。
お母さんは、見ちゃだめよといっていた。
小学生のころ
ミルモでポン!がとにかく好きだった。思えばわたしの依存生活はそこからはじまっていたように思う。
あの頃ミルモを馬鹿にしてきた、同級生の田中という男は、「おれがミルモを馬鹿にしたことなんか、大きくなったらお前は絶対わすれるね」といっていた。ひがみっぽくて嫌なやつだった。
わたしはその当時、絶対忘れるもんかと返し、おかしな話だ。結局未だにわたしは忘れることができていない。
田中は、いつか 半年くらい大きな病気をして学校を休んでいて、授業で、車かなにかの模型をつくっていたとき、田中がなにごともないかのように入ってきて、あぁかえってきたんだねと思った。
わたしは同じころ、足がうまく歩けなくなるウイルスにかかり、クラスの人から24羽鶴をもらった。
田中とは、この前偶然いったコンビニで再開した。一丁前に店員になっていた。
わたしは、「声変わりしたんだ」と思ったあと、サンドイッチとお菓子をレジに並べて、会計を待った。
おもかげこそあったものの、田中はもうわたしの知る、チビで生意気で嫌われものの田中ではなかった。
小さな声で「田中じゃん」とつぶやくと、向こうも同じことを思ったのか、一瞬驚いた顔をして「ひさしぶり」と 照れくさそうに呟いた。
あぁ全部変わってしまったと、自転車のペダルに足をかけておもった。
小学生のころ 2
毎週金曜日は、母の友人の家におじゃましていた。
そこには2人の元気いっぱいの姉弟がいて、わたしはそのふたりととても仲がよかった。
両手分くらいの、数年間のつきあいだった。
3人の中では、わたしが1番年上で、いっちょまえにみんなのお姉ちゃんになった気でいた。
道は、いつもわたしが先頭で歩いたし、またそうであるべきだと思っていた。
ほんとうに 色んなことがあった。
雨の日、リサイクルの緑の倉庫の横に、秘密基地をつくったこと。
そのすぐ近くでダンボールに入ったくだものを見つけて、怖いもの見たさででナイフで切って食べようとしたこと。
緑色のガラスの、怪談話をでっちあげたこと
それがこわくて いちもくさんに逃げたこと
マンションのエレベーターで、鬼ごっこをしたこと
お泊まりのとき、ないしょで弟のほうにキスをしたこと
みんなで、まぁるいテーブルを囲んでご飯を食べたこと
母と母の友人は似たような体型で、そして同じバレー部であったということ
いつしか時はながれて、弟はわたしたちと遊ばなくなったこと
わたしが中学校にあがって、わたしも同じように彼らにあわなくなったこと
数年ぶりに彼らに会ったとき、ほんとうに時間の流れをかんじたこと
弟は、わたしの知るいたずらっぽくて 愛嬌にあふれた雰囲気とはうってかわって、まるで硬派な優等生になってしまったこと。
今は、生徒会長と部活の長を兼部しているらしかった。
姉は、中学に引き続き バスケ部にはいっていて、すごく背が伸びていたこと。あの頃の勝気なつり目と寂しそうな口元は変わっていなかった。
ひさしぶりにあったせいで、と思いたいが、1日経ってもどこかよそよそしくて、結局うちとけることはできなかったこと。
時間は いろんなことを解決する
のと同時に、いろんなことを変えていってしまう
かわってゆくのは 淋しい
けど、わたしは 前に進んでいたいとおもう
時間が進むようにわたしも進んでいるからこそ、そのさびしさに負けずに
くじけずに
明日も生きてゆくことがきっと できるのだと思う。
小学生のころ
仲の良い 友人がいた
友人と、指で人のかたちをつくって、ふざけてあそんでいた
その指人形の名前は「ペイグリー」だった。
もう たぶん二度と、その遊びはしないし、思い出すことも少なくなると思う
だからつける 日記に
こうして
忘れないように。
どうでもいいことこそが、
わたしがわたしでなくなろうとしたときに
きっと
細く、大きな力で わたしを支えてくれると信じているのだ。
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