号泣日



目がじゅわじゅわ熱い

あっ
だめだ

と 思ってすぐに、涙がまばたきといっしょにおちた


 かなりまずい状況だった。
今わたしは上司と話してるまっただなかで、それもとつぜん泣き出していいような場所じゃなかった。

ただ、記憶のうえをするりと流れていった過去のかなしいことが、
とつぜん、目の前にきてしまって

感情と目の神経とを一気につないだように、止まらなかった。
なみだぶくろが貯水池なら、それが一気に崩壊したように。

 こんな時に頭が回ってくれるわけはなく、
わたしはサッとうしろを向くしかなかった。

会話の相手には
「申し訳ありません、お手洗いに」
とだけ 
かすれきった声でつたえて。
一目散にその場をあとにした。

 非常識だ とか、感情のコントロールもできないなんて
とか いわれても仕方がない

でも
これは
あきらかな衝動だった。

人が肉をたべたいとおもうように
眠りに落ちたいと願うように

圧倒的な、あらがえない衝動で、わたしは号泣していた。


 目はどんどん、じくじくと痛くなって
燃えるように、あつい

おまけに 目のレンズが水びたしだから、前もよくみえなくて

ふらふら ふら して

こぼれないように必死でうえを向いて、目を見開いて、おおまたで歩いた。

はっ ときづいて
手をポケットにつっこむ。
ボールペンを探すふりをしながら、会議へ急ぐ女のふりをした。


 個室に入ると もうとまらなかった。

顔がくしゃりとゆがむ
ゆがんで ゆがんで もう元にもどれないくらい口がへの字になってるのが 鏡を見なくてもわかった。

ひっつかんだハンカチを、ぐしゃぐしゃの顔に押し当てて 思いきり号泣する。
声はだせないから、過呼吸みたいな息だけ リズミカルに吐いた。

肩はガクガク 
ふるえて

固くゆがんで、とじられない口からは たぶんよだれが落ちてる

便器の横にしゃがんで、両手で顔をおおって、わたしは悲劇のヒロインみたいに大泣きした。


  かなしい という感情よりも、やっと泣けた
というきもちが大きかった。

なにかを原因にして泣くというより、泣くためになんらかの理由をつくっていた。

そんなわけのわからない身体をふるわせて
わたしは、ハンカチにあたって そして返ってくる自身の温度の幸福さに、うっとりと息をついて。

涙が
まるで 
まばたきのつぎに落ちるのが、あたりまえみたいな顔をしていた

眉が寄って、しわができて
瞳をゆっくりと閉じてから涙がこぼれるまでの動作が、あまりにもスムーズだった
から。

ほんとうに、これがもとから わたしの身体だったみたいな感じがして

涙がゆるりとほおを伝って、布にしみこむ。
すきとおった息が くうきと震えるのを、
わたしは聴いていた。


 リズミカルな 呼吸
母のこもりうたに、よくにている


ここに、
この場所で、
泣いているときだけが、
わたしがわたしでいられるような気がした。

かなしさは、わたしの免罪符だった。


 安心は 床におおきな水たまりをつくる。
ハンカチに落ちなかったとうめいな涙が、目からまっすぐしたに落ちていた。

もし
これが、血の色をしていたらどうなるのだろう
……考えて、きもちがわるくなって やめた。


  泣いてしまう日は、
たいてい どこかしらが疲れて悲鳴をあげているからだと信じている。

とくべつな問題がなくとも、わたしの身体はそうなるようにできていた。


 ノブにゆっくりと手をかける。

ここから出たら、わたしはもうふつうの女

いいきかせて、
ポケットから 目薬を出した。
かんたんには引かない充血した目を、まぶたのうえから しずかになでていた。







「号泣日」

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