8がつ
8月のあいだ、わたしが感じたとりとめもないことを
少しずつメモにのこしていった言葉たちです。
ちょっと長いのでおひまなときにでも読んでください
フィラリアの薬の成分で、犬は死んだらしい
もう何年も昔。
かんぺきな葬儀業者が、骨の色を上司に電話でつたえていた
そんなこと、どうでもいいじゃんと思っていた
あまりにかんぺきな、丁寧な話し方は、子どものころのわたしを殴っていた
生きものが死ぬかんかくが まだよく分かっていなかった
今もまだ わかっていない
ただ永遠に記憶の中にいる
会えないってだけで
1年前はまだ殺気があったからよかった
かなしさのかわりの活力が、そういうことに向いていた
相手のいない殺意だった
今はもう なにもない なにもない
ほんとになにもない
この怖さ わかるかな 伝わるかな この震えが
お腹にきりんの刺青いれたいな
まるで通夜みたいな夜のしづけさがすき
1LDKのアパート むし暑い夜 下の階からは 三味線のおとがする
豪華なお城 きらびやかな装飾品
王さまがひとりでくらしている
ここは なんの音もしない
どんどん物がすくなくなっていった
昨日あった化粧品や、鏡や、めぐすりがなくなっている
捨てたからだ
ものが減ると安心する
なにもかも最小限であることが好きだ
なくなったらすぐにわかるように
なにを補充すればいいのか すぐにわかるように
ものが多いと 逆に目をそむけやすくなるから つかれた時はそういう方がいい
人によって基準はちがうんだろう
もうここまできたら、死んでもいいですよというのがほしい
どこまで頑張ればいいのかわからなくなる
目の前にうつるわたしの体は、たしかに女だった
ただほんとうに、それが自分にみえない 見なれた体のつくり どこをとっても人間と同じつくりが、なんとなく信じられなかった
今が大切なのに、いらない時間をはやくはやく習得して、本来必要であった時間を失っている。
こなくていい時間を先に受け取っている。
同年代より精神年齢が高い
絶望的なこの評価
精神年齢の先取りなんてなんのメリットもない。少なくともわたしにとっては
わたしもみんなみたいにしたかった
ひとつの希望は 世界をすなおに見れるこのきもちが生きていたこと
同年代の人が失いつつあるこころをわたしは持っていたということ
これだけが 希望であり 明日を前向きにいきようと思える 唯一の ひかり
泣けなくなってしまったことがなによりかなしい
でも目が見えなくなるより、耳が聞こえなくなるよりは、ほんとに幸福な悩みである
まばたきをするのと同じかんかくで
くうきにとけあうようにさらりと流れる涙を よく覚えてるから、さみしくないよ
下手をすると家族より友人のほうが好きなんじゃないかと思うときがある
信頼とか、愛情とか、どれをとっても家族のほうが上のはずなのに
どこか安心してしまうのは、友人のほうだった
簡単に切ることができる血の繋がりのない彼らの方が、すごくかろやかだった。
人にどう見られるのかとか、家がどれくらい新しく立ったとか、どのくらい駅に近いのだとか
どうでもよいことで見栄を張る集団がきらいだった
ほんとうにくだらないことは、強いストレスになった
陰口の好きな女たちも、酒癖の悪い男も、はだかでふるえているこどもも
結果がすべてということもある かなしいけど
負けたら努力が無駄になることだってある
がんばったから勝ちじゃないときもある
時には、誰かをふみつけてでも推し上がらなければいけないときがある
最終的にだれも傷つけないところにゆけるのなら、わたしはそこに着くまで、野心を捨てません
冷たいと思われているかもしれない それによって傷つくことだって多い
いつまで続ければいいのかわからなくなる
でも
全部、たどり着けば終わりなのだと理解すると、少し楽になる 目標があるというのはひとつの免罪符でもある
やわらかな空間とぬるい眠りがすきで、まわりに好きな人たちがいてくれるのなら、おばあちゃんになるまで眠り続けていたいとさえ 思ってしまう
ぶどう酒とパサパサのパンだけがあれば、それだけでほんとうに一生、生きてゆけると思っていたの?
羊たちは 目のさめないまま、工場にゆき
手足をきりおとされて 清潔な絨毯になる
それを見ていたブタやウシは、どんなきもちがしていたの?
キリンは 海のなかで
ジューシーなバターと、けがれのないはちみつで
ほんとうに
生きてゆけるとおもったの?
どこにだって行かなくていいし帰りたいのに、こころだけはモンテロッソにあるのよ
音さえも吸収してしまうしずかな夜は、幻燈がよりうつくしく見える
爪から、火薬のにおいがする
黄金色のたびびとは、わらをかんで、あしぶみをする
とおくから、狩衣を着たオオツノジカが舞いおりる
空はおそろしいくらいに晴れわたっている
なにも聴こえないのなら、生きていなくてよかったとささやくカエルときのこ
絵なんて本物じゃないんだから理想詰め込んじゃってもバチはあたらないよ
そう考えるとどれだけ頑張ったって「本物に近い偽物」にしかならないわけで、それならとことん理想をつめこんで自分の好きなように作り上げたほうが楽しいよっておもう
妙子は、わたしの夢によくでてきてた女の子の名前
いまはもう 出てこない
妙子さん、妙ちゃんってよぶたび 皆ほかのひとの名前をよんでるんですよ
へへ ぶきみ
ほんと、夢日記でもつけてたのかってくらい毎日夢と現実との境目があいまいで、(こんなの誰にもいえない…)
現実を生きてるのに やさしい詩や絵本に出てくるような、すきとおった世界が垣間みえることがある
だいたいそういう時、言葉を書いてあそぶ
はじめは 月をテーマにして、夜と縒る(よる)を掛けた和歌をつくりたいな〜って思ったんだけど 難しくてやめた
こまかな糸を縒ってつくった輪のような飾りが、この満月のように見えます…みたいなのをつくりたかったな
謙虚に生きようとおもうのは、
幸せの基準に確信がないからです
人と比べることで幸福の度合いをはかるべきではない
もう何人も何人も言ってきた言葉。
それなら、今まで腹のおくにずっとあった、世界にいる沢山の人の暮らしと、わたしの暮らしを比べて
「ここに生まれたことに感謝したい」
という思いも、
あぁ 比べてる
と気づいて
相対的に幸福な生まれであると考えるのなら、その時点で 誰かとくらべた幸せじゃないかって思って
そう思い始めると 比べずに幸せを測るのはすごく神経を使うことだと思った
わたしには まだ、
自分以外のだれのことも意識の内におかずに、幸せだと感じるのは、むりだ
だからそれがわかるまでは、つつましく生きようと思っていた。
感謝を忘れずに、毎日なにかを殺して生きてるということを忘れずに。
人は動物や 虫や 草木にたいして、もうすこし
謙虚に生きてもいいと思う
と
まど・みちおさんが言っていたのがすきだった
たしかに 同じ命に変わりなかったのに、わたしたちは命に順序をつけたがる。
むやみに干渉しては
自分が他人より優位であると、まともであると
確認しようとする人もいる。
この前、知人から相談を受けたときのはなしだった。
そういうときは
余裕 たっぷりにほほえんで、受け流してあげれたらいいね と話した
余裕のない人ほどよく喋る。
むりに取り繕おうとするとき、人は多弁になるもの
わたしもしずかに受け流せる人間になりたい
喧嘩っぱやいからすぐどつき返す
かなしいことが多発して、絶望する日々がおおくなったけど、喜びがあることがほんとうにありがたいな
はやく 今日は甘美で野蛮なセックスをしましたって日記に書けるようになりたいよね
なんか 昔みたいに感情が爆発したり、誰かと大喧嘩したりすることなんか全くなくなってしまったな…
これが大人になるということなのかもしれないけど少しかなしい
お互い どうでもいいことでキレて掴みあったりしたね
昔から 喧嘩して怒ったりしたとき、みんな同じ感じだった
まっすぐになにが嫌かを「伝えて」、「どうしてほしいのか」言いあっていた
解決するまで、言葉と体で表現していた
小学3年生のときくらいに
お気に入りの服のリボンをひっぱられて、紐が解けたことにブチ切れて殴り合いのケンカしたのが人生で一番無意味な瞬間だったな
今思えばほんとになんで怒ったかわからないしくだらないのに、
当時はそういうことがなにより大切で大事だったんですよね
眠れない夜はあんまりない 眠りの空間が好きすぎる
しずかな夜 呼吸の音がゆっくりと黒に溶けてゆく感覚
たまに、朝方に起きると、夜の気配がうっすらと残っていて、外の世界はぜんぶ神秘的にみえる
あと半世紀ぐらいでこれだけ考えて泣いたりしたわたしが終わると思うとめちゃくちゃ信じられなくて、
あぁ これだけお金をかけられて、そして考えたり勉強したりしても結局は死ぬのか、と思って
いつか 誰かのモチーフを借りたものでなくて、わたしがわたしだけで創り出したものを素晴らしいと言ってもらえる日がきたらいいな
絵に対してどう思うのか聞かれても、様々な想いがありすぎて一言ではいえなくて
その想いを分けるとしたら、鑑賞か描くことかに分かれる。
鑑賞は 大好きな芸術を まったくの他人として、観客として楽しむことで、そこに自己はないですね
描くことは主に 何かを好きだ!と思うことを描いて
いるので、ほぼ二次創作です。
誰かの創り出したモチーフを愛して、その絵を描いている。
主に深く考えるのはこちらの方で、
どうすればもっとこの人物を魅力的に魅せることができるのか
とか
人体の構造から写真の撮り方まで色々研究して勉強もします。
でもそこに自己があるのかと聞かれたら、
複雑なんですよね。
どれだけ愛や努力をかけていても所詮は二次創作です。
誰かの権威と見逃しのもとに成り立つ活動。
だから想いを語れと言われてそれについて話すのはなんだか厚かましいというか、身分不相応な感じがずっとしていて…
モチーフを魅力的に描くために全てをそそいでいるので、
自己はないといってもいいのかもしれません。
誰かの産んだものを描いているのに、自分の「作品」だと言ってもいいんだろうか と
ずっと考えていました。ほんとに難しいです。
芸術に上下はないかもしれません。
それでもやっぱり 創作をしている方を見ると憧れるしかっこいいなぁと思う
だから、結局どちらにも自己はないような気がして
絵について語れと言われても、自分がいないと始まらないし、上手く語れないんですよね。
どうしていいのかわからない。
二次創作だから負い目を感じるって、おかしいんだろうか
つつましく活動することとはまた別なんだろうか
わかんない かなしい
いつか、物語のあるような一次創作ではなくて、わたし自身を表現することがテーマのような絵を描いてみたい
たぶんそれだったら、負い目なんか感じないと思うんです
だから絵を褒められるとき 同時に申し訳なく思っていたんです ずっと
本当に何にも変えられないくらい嬉しくて感謝しているけれど、やっぱり心のどこかに「人の生み出した」二次創作 という観念がしっかりとある。
それに対する後ろ髪を引かれるような思いや、葛藤というのがずっとあった
どんなことでも すべてのものに真摯に向き合っていたい
邪な思いがなにもなければ、純粋に芸術を愛し続けることができると思うんです
わたしの場合は
自分の想いを、なにかの手段で表現することがわたしの産まれた理由らしい
これからも長いつきあいになるのなら、長く深くつづくように、誠実でいたいな どんなことも
常にうつりかわるのを知ってるから、人と深くかかわりすぎることはない
その場その場にいる相手を愛したり、誠実に向き合ったりするだけだった
いなくなって かなしくなるのが怖いから
これで会うのが最後かもしれないって思いながらかかわると もうその思い出だけで一生いきてゆけます
結局はわたしのからだひとつと生きていかなくちゃいけないから、ひたすら学びをとおして自分に投資するだけです。
どうして淋しさと一生つれそって生きてゆかねばならんのだ
きもちは自分一人で生きてきました、というような感じなのに、実際人と支えあっていかないと生きていけないし、生きれてなかったし、
どうあがいてもひとりになりきれないのが辛すぎる
もう解放してください
心をおける人から性格をほめられた時ほど嬉しいことはないね
両親を誇りに思える いつまでたっても、幼いころを思い出せば、なにをされても感謝していられる
すべての人に安心をあげられる 満ち足りた素敵な大人になりたい
すべての人に安心をあげられる 満ち足りた素敵な大人になりたい
しずかに泣いた 色んなことされても
どうしても世界は綺麗に見えてしまうし、許してはいけない人もどうしても赦してしまう
きれいなものに感動して 泣く日々が おわらないでほしい
ほんとは色んなことが好きだし、嫌いな人なんてほんとはいない
でもいると言っていないと わたしだけがみじめに思えてた
やさしい人たちにふれて こころが穏やかになった日だった
久しぶりにやわらかかった
眠れない夜に 銀河鉄道の夜を落ちついた声で朗読してくれる人やといたい
きのう久しぶりに心がすきとおっていたことを忘れないようにしたいな
文章に限らず、わたしは満たされているときはまったくと言っていいほど創作をしなくなる。
つよい衝動の元になる、吐き出すもとになる「想い」がないからだ。
性格上 ずっとわけもなくかなしいのが常だから、急にたのしくなったり、悩みがなくなったりすると不安になる
体質から不幸なのかもしれない
かなしいときは そのかなしくなる原因に悩んだりして落ち続けているし、
それを解決するため…
頭の整理をするために文章を書いたり、衝動を絵にぶつけたりするんだけど
それが楽しいときはほんとうになくなってしまうから、たのしくてもかなしかった
みんなでたべたふわふわのかき氷の思い出はやさしい
どんなことがあっても そのひとつの出来事をよりどころにできるのだから わたしは幸せ
なんか もうほんとに 訳わかんないところに全力を出してしまうような生き方をしていて…
「大好きなモチーフの魅力を、最大限に引き出したい」
DIOを好きになったときから、数年前からずっとこれだけを目標に絵を描いていました…
でも何十枚描いても全く毎回納得できなくて かなしかった
それでも、周りの皆さんが あたたかいお言葉をくれて、ほんとにほんとに、勝手に励まされてました…
いつも
わたし自身の趣味にすぎないのに
人様に見ていただいたり、まして応援などもしていただけるなんて と恐縮しています、、素直に嬉しくてたまらないです。
やっぱりまだ全然目標には
程遠いんですけど、これからも毎回成長できるように 学ぶことをやめないでがんばろうと思いました、!
ほんとに改めて変なところに命注いでるなとおもう…
バカな生き方だけど でもとてつもなく楽しくて仕方がないな
ほんとに短い人生なのに、失ってきたものは山ほどあるし、残ってきてくれたもののほうが少ないよ
心を折られて それでも
成長を止められるのがいやだったから
貪欲にもとめて、なぎ倒してきたよ。
でも、わたしは わたしだけ残っていたら、それでいいと思ってたよ
希望や意思がかわらなかったら、人は折れても たぶんまた前を向けるよ
自分に価値があるなんて一回も思ったことないし、それは自己肯定感とはなんの繋がりもないことなんだけど
その場しのぎって言ったら聞こえはわるいけど、
いつも興味のわく方に、心がたのしいと思う方に向かって進んだきた気がする
だから歩みをとめてしまうのはすなわち死のような気もしていた
幼稚園生で自我がめばえたときから、ゆるやかな絶望とよりそって生きてきた
あまりにも、それがそこにいるのが当たり前だったから、戦おうとも思ったことはなかった
ただいつも、
こどもらしくて 無邪気な同級生がうらやましかった
でも こういう性格にうまれてきてよかった
わたしがかなしいだけなら、ナイフを振り回すわけでもないし、誰かを殺したりなんかしないでしょ。傷つけたりも
すべてがおわって、ゆるされたなら
今度こそわたしは あの人のいる 広くて鮮やかな大地にいくんだ
そこでしぬんだ 夢だよ たったひとつ
自分から見ようと 目を凝らしたら
けっこう身近なところに 綺麗なものはひそんでいたりする
また思いこみはすべてを変えうるとも思う
かなしいのが、もし全部思いこみだったら 夢だったなら どれだけ幸せだろうと なんども考えた
うつくしい想い出を糧に わたしは矛盾を生きたい
想いを表現するためにうまれてきた
ふだん神も仏も信じないくせに、
仏様からおりてきたというその言葉は 否応なしにわたしを惹きつけて
そこだけ都合よく信じて いきている
だれかを思いだしてながす涙はしずか
毎週金曜日には母の友人のお宅に伺って、その子どもたちと日が暮れるまであそんだ。
土曜日は、ばあちゃんの自転車にのって、駄菓子屋さんとラーメン屋さんにいって、帰りに公園でアイスをたべた
たまに、父のバイクにのって、しらないところを探検しにでかけた
「どんなとこでも道はつながってる」
父の口癖だった。
実際、どこにいっても迷っても、最後には家にかえってこれた。
かたぐるま
読んでもらったいちにち20冊の絵本
犬とふたりだけのさんぽ
産まれてくる妹と一緒に おつかいにいく計画をたてた日
あまりにめぐまれていた
今どれだけつらくても それだけで、わたしは、しあわせだな、
なんか、まわりの人、
みんないなくなったり、死んだりしてしまう
その一瞬一瞬を描くとき、わたしは本気しかださない
もうべつに
知ってるふりも知らないふりもしないし、嘘もつかない
一時期すべてになにも思えなくなってしまったときもあったけど、ようやく色がつき始めた感じです。それが青でも
月がすきで
この人なら絶対手が届かない て思う月みたいな人を好きになって、なるのに
じっさい話してみたら距離が近くなってしまうのって、すごく残念なことだとおもう
そっと内緒話で顔が近づいて そこだけ空気がへんだったの、なんで誰も気づいてくれなかったの?
どうしよう、クソ……………ひねくれてるから なんか誰かを好きになるのって 負けた感じがしてクソ腹たってきたななんだよくっそ〜〜〜〜!!???!!!!!??黙りな!!!!!!わたしがわたしの世界の中心や消えろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
孤独な芸術家は、満たされないゆえに誰かの胸をうつ作品をつくるけど
人の胸をうったとしても 当の本人の孤独は変わらない
どれだけ知らない誰かを救っても、だれが何を言っても結局、孤独は孤独でしかない。
どれだけ評価を得たところで、本人が満たされることはないのだ
たえられない ほんとに こんな生活
今までの重みに加えて、誰かにもう なにかを侵されたくない こわい
どうしてひとりで生きられないの?
どうしてひとりきりで生きてると思っても、そばで誰かが支えてくれてるの?
完璧にひとりになれないかなしさと 誰かへの愛が矛盾して 毎日しにそうになる
芸術をあまりにも愛しすぎてた
それに気づくのに時間はかからなかったし、気づいてもどうしようもできないくらいにわたしの人生にしみついていた
かなしくないと基盤が揺らぐのなら、孤独でないと作品がつくれないのなら、それほどの人間だったとしても、やっぱり捨てたくない。孤独の方がましだ
誰かと愛がつうじそうになるたびにこういうことを思う
そして結局ひとりになる くりかえしてる
結局わたしが優先するのはわたしが何より大切にしたい好きなことたちだし、そもそも人をみてないから、人としてよくないな と思った
思いやりなしに続く愛なんてたかがしれてるし、それならいっそ関わらない方が安心な関係だね
もう、芸術いがい愛さないからだれかわたしをみつけてくれ というきもちで毎日いる
見つけてくれた人は、ありがとう
もう ゆるしてください とつぶやいた時、
ゆるすもなにもないよ と言われて
たしかに 何からゆるされたいのかも
もうわからないと思った
がんばろう 大丈夫
もう誰にも こわいきもちになってほしくないし
わたしももう なにかに怯えて生きるのにつかれた
わからないふりをするくらいなら、知らない方がマシだと思っていた
騙すなら、騙されるほうがいいと思っていた
なんかずっと そういう風にしか生きれなかった
要領がよくなかった
いつも 全員が傷つかない方法をさがしては、わからなくて泣いていた
今もまだ そう
銀河鉄道がいつかおりてこないかなと思うし、
きいろのコンクリートミキサー車は いつだって幸運の象徴だった
いつも夢みたいで なにがいけないんだろう
夢からさめないのを、おこられたくない
ミルモと 感性のやさしいともだちの中で育ったわたしの感性は いつだって
バカみたいに夢みたいで
それが今でもかわらないの
いつだって、あたまの奥底では
はだかの子どもが かろやかに野山をかけているよ
もう つかれてしまった 世の中はかなしいことも 楽しいことも多い
情緒ほんとゴミ今日 がんこちゃんもめげるしょげる泣く
現実的なことばかり考えて 考えて、考えすぎるくらいなのに抜けてるからほんとになんだこの性格っていつも思ってる
だから嘘だとおもわれるし 誤解もされるのかな そんなことないのに
でもだれも悪くないよ
こわい人も、こわくない人も
だれも悪くない
悪い人なんかいない
友達から 妙子まじでハイジ症候群だよていわれておもしろかった
たしかに、小学生の時から将来の夢はヤギのいる草原にいくこと
あかるい場所にいても、すこしの陰りもないくらい 晴れやかで正当な性格だったらよかったのに。
場所もかなしいことも人も木々も、なにもかもが変わらないのに
毎日落とすはずだった涙はもう枯れてしまったし、いくあてのない意志だけがぽつりとのこっていた
もう本当に、大好きな言葉というツールを
相手を言い負かすためとか、喰われないように喰うためにつかいたくない
そういうことをした後がなによりかなしい
そうしなければいけなかったとしても
堪えて、心を鬼にしてだれかと戦わなければいけないときは 必ず周期的にやってくる
ほんとにその時期はかなしい
忍耐と我慢はちがうから、言うときはちゃんと言わないといけない
あとで泣くことになっても、その時だけは、誰かを傷つけないと生きていけないこともある
悲観的とか人生にひたっているとかじゃなく、いつも 行き過ぎなくらい人生をしずかに分析してしまう
一番むいみで ひたすらかなしい
部屋からすごい熱帯雨林みたいな音がしだしてビビってたら、昔使ってた携帯の着信音だった……………………………………………
はず…………
死ぬほど努力して出した結果なのに、それでも嫉妬するの?なんで?
悔しいなら自分も努力したらいいのに
わたしと同じことをして、それでも上がらなかったら憎めばいいのに
ほんとにかなしい 互いの成功を喜び合える関係を築きたかった
やわらかなくまと一緒にいるときだけは
しあわせ
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