短編 「アーメン電卓」
変化しないものが妙にうつくしく、南京錠のように安心だった。
玄関の右手前の階段をのぼり、その途中、ひ
みつの小部屋がある。
携帯したハシゴをつかって 鍵もない穴にしのびこむ。向かって、ひだり。
決められた住所に配置されたそれは、いとも簡単にすくいだされて
「アーメン どうか 今日のあたしに必要なことを」
日付を打ってEnterをおせば、もうおちゃのこさいさいだった。赤子の手をひねるように簡単だった。
「“105366”」
番号をパネルにあてはめて、解読すれば「白パン」だった。きょうのあたしは白パンである。
こんなふうに、今日のあるべき姿を教えてくれたのが電卓だった。
というのも 私のもつこの電卓は少し変わっていて、日付を入れて結果をまてばあたりまえに今日の運命がわかった。
運勢ではなく、運命。わたしはこの電卓と一心同体である。
なので今日は白パンになる。
一日中、あたしは白パンのことしか考えない。
白パンの文字をひともじずつ、分解して。そのまっすぐで無垢な線や、なだらかな曲線や、はねあがったかわいらしいラインのことまで丁寧に じっくりと、思い浮かべる。
それが生まれてからの使命のようにまで 思えてくるほど。
そんなふうにして一日は終わる。完璧で充実した、なんの欠陥もない日々。
このゆるやかで静謐な時間だけが、あたしの生活だった。
次の日、階段をのぼる。ハシゴでひみつの小部屋にあがって、しのびこむ。
向かって ひだり。決められた住所に配置されたそれを、手にとって、そっと 日付を押す。
突然だった。
パネルにふれた、ゆびのひんやりとした感覚
離れて、また、触れて、ふれて
どうしたことだろう、画面にはなんの反応もない。電池切れかと思う。そうではない。すっと血の気が引く。膝から落ちる。「あっ」と声がでる。
「こわれた……」
口に出した瞬間、いっきにそれは現実味をおびて、こわすぎて泣いた。
この電卓をなくして、あたしは、どうやって正しい運命をわかればいいのだろう。
あたりまえのルーティンを失ってしまって、あたしに、なにが残るというの
こきざみに、揺れるのがとまらない左手を、右手でおさえて、機械を そうっと裏返す。
“製造年:2546年”
絶句。
「存在、してないじゃん……」
なにもかもおしまいだというきもちになり、あきらめてハシゴから外に出る。アーメン、とつぶやいてみる。
別に、なにがおきるわけでもなかった。
空は、ごくふつうに、みんなそうするように、鳥があそび、さんかくのUFOは浮いて、風にとばされた誰かのラヴレターと、道ばたにポストにかわったやぎの郵便屋。草を、はんでいた。
まばたきをしてやっと、自分が泣いていることにきづいた。
ヤギはこちらをみて、やっとか という顔をした。
変化しないものは妙にうつくしく、南京錠のように安心だった。
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