日記 *


思い出日記

 人にぶつかられてた時期があった。こう書くと意味わかんないんだけどそう言うのが一番よかった。受験生のときで、その人は同じ活動をしてた。ぶつかるって多分悪意じゃなくて遊びだった。でも陸上部だったし大きかったからふつうに「うわっなんだよ」って思ってた。
 
 一年生のときにその活動に入って、最初のメンバーは五人だった。その人は五人で一から作り上げてきた仲間のひとりだった。おもしろくて仕事ができた。ムードメーカーで、声がよく通った。でもわたしが話しかけても冗談でしか返してくれないし、ふざけてくるからなんなんだこの人と思ってた。

 きっかけは体育祭だった。体育祭の準備がはじまって部署が移動になった。その先がたまたまその人の隣で、うわっと思った。部屋に対して人が多いから距離が一センチくらいしかなくて、近かったから前よりたくさん話すようになった。仕事も一緒にした。

 この頃からぶつかられるようになった。ほんとに意味がわかんなくてやめてよって言ってたけど返してくれなかった。すごく笑わせてきた。会話の相性がよかったからわたしも楽しかった。嘘をつくのが上手くて、全部ひっかかった。目が綺麗だったからわからなかった。くやしいけどわたしの物真似が上手で、気持ちが高ぶった時に声が高くなるところとか、ジェスチャーが多いとことかすごく似てて逆に羨ましくなった。
 
 これを書いたのは遭遇してしまったからだった。もう忘れようと思ってたし、実際よく思い出さなかったと思う。駅で偶然、花屋さんの前で。
 働かない頭で最悪って思った。足が動かなくなった。相手と目が合う前に帽子を深くかぶった。絶対話しちゃいけない。目を合わせたらおしまいになる。びっくりするくらい簡単に泣いてた。なんでって思った。思いださないうちに走って逃げた。

 なんで会う度ぶつかってくるのって言ったらなにもいわなかった。いつもふざけてくるくせに真面目なことは全然いってくれなかった。わたしそんな頭悪いと思われてるのかな。俺とはつり合わないって思うから話してくれないの?ちゃんと話せるのに、話したいのにって思ってかなしくなった。わたしおもちゃじゃないよ。

 あとから話さないんじゃなくて話せないんだって知った。引っ越して、もう連絡先もわかんなくて、忘れた頃に手紙をもらった。住所は友だちが教えたみたいだった。
 信じられないくらい丁寧な字だった。手紙を読んで、それで、破ろうと思った。手が震えた。君もひとりだったの。
手紙にはかしこまった挨拶と、近況と、そして謝罪が綴られていた。いつも笑わせることしかいわない君。真面目に話したかったのにふざけたことしかいわない、変な人。
海みたいな深い青で、助けたかったんだと書かれてた。皆が遊んでる中ひとりで仕事をしてたとき、重圧に耐えてたとき、綺麗ごと言うなって嫌がらせを受けてたとき、泣きながら自転車にのってたわたしをあの人は知ってた。どうしても不器用だった。言葉で伝えられなかったって字が震えて、わたしは、しばらくなんの表情もつくれずに泣いていた。

 思いかえせばそうだった。いつもぶつかってきた後には会話があった。楽しくて、つらくても心から笑えた。やさしさだったんだね。
 わたしも、ほんとは君って明るいだけじゃないのかもって思ってた。いつも元気でいるのは疲れるから、静かでいられる陶芸のクラスを取ったとき、君がいたからほんとにびっくりした。陶芸は十人くらいしか人がいないし、それにスポーツのイメージしかなかったから。
そこで見る君はいつもとまるで別人で、職人みたいに見えた。恐ろしいほど静かな空気をまとっていた。つめたいみずうみがあると思った。根底は落ちついているのかもしれないと思うと自然に親しみがもてて、うれしくなった。言葉にするより形にするのが上手かったんだね。不器用でやさしかったの。

 やさしいから、もう会わない。きっとずっと会わない。だって会ったら多分、もうひとりで立てない。わたしのこと分かろうとする人なんて、そんなのはじめてだった。たすけてっていっちゃうかも。やだ。かばおくんよりアンパンマンになりたい。助けてっていうより助けるからっていいたい。もう大丈夫だよ。こわくないよってきっというの。

 さよならだけが人生だっていつか井伏鱒二が于武陵の詩を訳してた。ふたりで不器用だったね。思い出でいよう。君が海ならわたしは太陽になりたいから、ひかる金色のインキでありがとうって返した。はじめてちゃんと喋れたんだね。

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