こごえるタンポポ


 もう手を繋がなくなった。たぶんいつかこう思うときがくる。もう手を繋がないということ。諦めと寂しさ。もしくは高揚と身軽さ。まだ今は手を繋いでる。
 映画館が併設されたターミナル。ひとが多く行き交って、忙しない。4ヶ月前、人の目なんて気にせずに腕を抱いていた。うれしくてわくわくしてた。不幸だったけど、たしかに目の前がピンク色だった。

 会えてうれしいって今でも思う。懐かしさに近いそれ。普段他人同士なのに、今一緒にいるなんて変だと思う。それぞれ別に育った別の生きもの同士。爆発が起こってはじかれたふたり。たまたまそこに居合わせた、なんの根拠もない、ただそこにいただけの二人。
 今は少し、手を繋ぐのははばかられる。少しの遠慮、繋いだときの安心。これはわたしの距離を表したのか、相手のを表したのかわからなくなる。寝ぐせが残った子どもみたいな。

 安心と刺激を天秤にかけてる。まばらに落ちてる雨音を聴いては、昔きいた音楽を灰色にした。はじの方から黒ずんで、綺麗だったものもどうやって見ていいのかわからなくなった。テレビのチャンネルがドミノみたいに消える。

 時々みせられるリーダーシップ。あまりにわたしが気が回るから、それが微々なものでもうれしかった。うれしいと思うほど相手に期待してなかったんだと思った。見慣れるって思いもしなかった後ろ姿。それがなくなるということ、まだ想像できない。

 ゆきちゃんのうた。かけがえのない思い出たち。それらはわたしだけで完結してた。他人の入り込む余地などなかったはずだった。心が溶かされていくのがこわい。その侵食に気づけないほど溶解したのを、認めるのも怖かった。グレーの鐘がうるさく鳴ってる。それが警鐘なのかドラの音なのかわからなくなる。

 あなたはどうだったの。何も考えないで、生きてそれでどうやったらよかったの。おもしろいと思う漫画を勧めない。昨日どの電車に乗ったか話すこともない。どこからどこまでが線なのか、わたしたちはどこの線につかまっていたのかわからなくなる。

 愛されたらどうだったんだろう。このひとしかいないってどうしたら思えるんだろう。裏切られることを恐れて開示しないのも、でもばかげて明るくかんたんな気持ちで愛し合ってみるのも、なにもかも当然のように起こるから。いつが朝なのかわからなくなる。しんだ犬が、遠い顔をしてわたしをみてる。

 きれいなうた。何度も繰り返されたはずのジングルベル。また同じ季節がわたしに降り注いでは穢れなく笑ってた。わたしはそれに、うざったいなと思う。もう好きにしてよ、と思って足元のカンカンを蹴ってる。

 ずっとにんじんを刻んでるみたいだった。等間隔に一定の狂いなく、しかしその間にはいろんな人の指とか声とかほほえみとか、そうゆうのが配置されてる。永遠みたいな産声が、その間からきこえてはわたしを縛った。捉えようのない性はコンプレックスとなって、相手の手は力なく落ちていって。

 ちからを失うとき、わたしもそこから離れると思う。わたしは変化が好きだから。前に進んでくものが好きだから。たとえそれがあからさまにおかしくて、後ろ指をさされるようなことであったとしても、わたしは足を上げて階段をのぼると思う。泣きながら。
 
 いつだって確かに誰かを好きだった。大事だと思ってた。その瞬間は嘘ではなくて、でも本当でもなかった。わたしはただ、楽しそうって思って、それに手を重ねただけだった。永遠の悪魔。

 外はもう暗くて、季節が流れて冬になる。冬のうた。愛した雪。けなげな羊の子守唄。わたしたちは、まっさらな顔をして窓をみる。恐ろしげなたんぽぽが、凍えながらわたしたちの後ろをみてる。洞穴みたいな目で。
 明日になったらまた何もかも変わる。それを怖がらない心を、わたしは持ってみたい。

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