詩と言えなかった



昔から詩というものに抵抗があった

じゃあお前のかいてるものはなんなんだ、って言われてしまうけれど
わたし的には日記とか、感情をつづったものだとおもっている

詩では、ないと思っていた

そういう形式がなんとなく苦手だった
苦手 というより 読んだ時にはっきりとした嫌悪や、そうでなく単純に

「わぁ」

という、自分のつまさきひとつぶんくらい引いたところで、愛想笑いをするような

こころがいっしゅん緩むような、また一線引いてしまうような、へんなかんかくがして
なんとなく居心地の悪さをかんじていた。


特に一般大衆にウケた詩集なんかが苦手で
100万人が泣いた!とか大々的に告知されていたりするとなおさらだった。

誰かと一緒の思考で安心してしまうのがこわかったのかもしれない。

ずっと考えてた憂いとか
よくわからないもやもやとか、
誰かがすっきりとした一文で、またそういう文章で
くくられてしまうのが悔しかったからかもしれない。

どうにも詩というのに、昔から抵抗があってしまった。




 といっても全部の詩が苦手なわけではなかった
詩と銘打っていても、人間的に好きな人であれば普通に読んだし、いやべつに好んで読んだとも思う

ところどころページを読み飛ばしはしても、さいごまできちんと読んだと思う。

要は本や詩は、どれだけ感じたかだったから、わたしにとって

どれだけその時になにかを感じて、
読み返したいと思えるか
それだけに重きを置いて、今まで何十冊も読んできたんだと思う。


こころと身体がバラバラにどこかへいってしまったとき
必要なのは自我でもつよい意思でもなく
だれかの信じる道なのだ。

だれかがわたし以外の完璧な他人として、
わたしと一切まじわることなく
その人の人生を生きてくれていたら もうそれでよかった。

気ままに生きるだれかを見て 安心していた

それが好きな人であったら、なおさらだった。

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