くらい日
ぼんやりと鳥の羽のもげる音がして、落とした視線の先には、のしちの文字がある。真んなかの「し」だけ太字でなぞられたように見えた。
「くらい日」
暗かった。すべてが藍色のバケツをひっくりかえされたようだった。心はあたりまえのように静けさを纏い、頑としてほかを受けいれようとしなかった。ろうそくのろうがひとつ数えるたびに、ぽた、ぽたと落ちては短い火がじくと燃えた。
耳をすますとなにも聴こえなかった。だいたいいつも雑音がしていた。目をつむり、静かに呼吸をしたあとひらく。意識を集中しようと思えば思うほどなにも聴こえなくなった。きかせてくれなかった。すべて懐かしい匂いを発している気がする。強制的に思いださせるように忘れさせないように、なつかしさでとりこにしようとしてくる。
昔の匂いはどうしても苦手だ。たぶん苦手じゃないけど、好きか嫌いかでいったら嫌いだった。本棚の奥深くに眠っていたほこり臭さや、太陽がさびた匂いのものもあった。総じてみんなだいだい色をしていた。なつかしいものはなつかしい匂いがした。
「ふりしてるまにでていってくれ」
よく聴いているうたのうたがまどろみを犯す。きれいだと思った。歌詞の意味は考えずともそのメロディ、意識はわたしの脳内にはいりこみ、考える余地をなくさせた。素敵な逃避方法だった。艶をふくんだ声が素敵。やさしい。やさしいものはみんな早くなくなるからそれだけが嫌だ。早送りすると美空ひばりになった。
やさしくなんかなくてもよかった。全部いなくなるならやさしくなくても大丈夫だった。全部永遠じゃないからぜんぶ嫌い。きらいなもので覆い尽くされたら綺麗なものがより綺麗にみえる気がした。なにも見えてないくせにそうゆうことはかんたんに言えた。もう無い家の住所をおぼえている。もう無いアドレスにアクセスしては404の文字をみている。ひとがひとり死ぬという意味がよくわからない。なにも、ずっとわからない。しぬことがわからない。わからない、だって会ったことがないから。話したことがないから。お互いに面識がないから。
そうゆう人をすきになったり、また死を悼んだりするのはおかしなことだろうか。ほんとのところまったくわからない。好きは好きでしかない。好きなのはずっと好き、だってすきだから。しんだってわたしがしんだとしてもそれは変わらないことで、無意味な自問自答をまいにちくり返している。大好きなものを愛していたら日が暮れる。一日が終わるのが早く、だいたい23時には泣いている。この時間帯は絶対誰も電話をかけてくるなと願っている。沢田研二のうたしかききたくない。正直だれでもいい。でも沢田研二しか聴かない。完璧ななにかに依存する日々もいつかは終わるだろうか。終わらないだろうな。完結された概念でしかわたしは救われることができない。わたしも夜というのに派手なレコードをかけて朝までふざけたい。ワンマンショーで。
0コメント