短編「とこちゃんとはちみつパン」


 「なんてこと!」

 とこちゃんはびっくりしてめがさめた。
 あかるいくうき。バスタブからあふれるお湯。とこちゃんはあまりにもびっくりしたので、もう一度なんてこと!と、さけんだ。それは、今までにないくらい、とっても素敵な夢をみたからです。
 とこちゃんはなんでだろうと 3秒間考えます。そのあいだに、ママがお風呂からふらふらと脱出してきて……。

「わかった!きっと、昨日のあさごはんに、はちみつパンをたべたせいね!」

 ものすごい根拠のないじしんと、たしかなきらめきを とこちゃんは感じました。そしてぱたぱたとフローリングをかけると、さっそくママに報告しました。
 てらてらと コントラストをさげたようなたいようがおうちを照らして、まだ街の砂丘には、うっすらともやがかかっています。

「ママ!きいて!はっけんしたんだよ!」
「まぁ、なぁに?」

 ママはおとななので、濡れた髪をかわかしたくても とこちゃんの澄んだ目をじっと聴いています。

「しあわせな夢をみるには、はちみつパンをたべるのがいちばんなの!」

 とこちゃんはじしんたっぷりの顔で えへへと笑います。きっと、この世界のわるいことを、全部切りとってあげられると思ったのです。

「へぇ!とこちゃんはすごいわね!大発見じゃない」
「えへへ」

 これでママも、毎晩おくすりを飲まなくてもよくなるし、となりのおじさんも、哀しくて猫に猫をつみかさねては咽び泣く日々もおわると思うと、えへへの顔がとまりませんでした。

 それから、とこちゃんの研究の日々は幕をあけました。毎朝7時に起きては とこちゃんはパンを焼きます。そして、街中のかわいそうな人たちに、配ってはしあわせをふりまいてゆくのです。
 もちろん、とこちゃんはまだ3歳なので、つくるときはパパに手伝ってもらいます。
パパは、怒ってもあんまり怖くないし、きっとわたしのことを怒ることは苦手だと 信じていました。

「ママ、パパ。今日もいってくるね」
「とこちゃん、いってらっしゃい。火ネズミには気をつけてね」
「うん!」

 パンの配達は歌をうたっておこないます。
歌をうたうと犬とフェレットが、草の影から飛び出して、とこちゃんを背中にのせてくれるからです。とこちゃんはとてもいい気分。自然と歌う声も、大きくなってゆきます。

 へんてこりんな砂丘をぬけると、港町が見えて、潮の香り。とこちゃんと、犬と、フェレットは目をほそめます。まだ少し寒いので、とこちゃんは犬の上からまた犬をかさねて、ぽかぽかとあたたまりました。

「やぁ!とこちゃん!」
「今日もはちみつパンを届けにきてくれたの?」

 街のおとなたちはとこちゃんがくるのを 朝の3時半から心待ちにしていました。もう、とこちゃんのはちみつパンがないと生きていけないようになっていたのです。
 とこちゃんはこどもなので、そんなことは知らずに毎日、おひさまの香りのするパンを届けます。それが自分のしめいだと、こころの底から思っていたのです。クレヨンのくろが、夜空と、黒のねこのぬり絵にしかつかってもらえないのをわかっているように。
 ある日、となりの猫をかさねるおじさんが とこちゃんのもとへやってきました。

「とこちゃん、もう あのパンを配るのはよしたほうがいいよ」

 おじさんは少しかなしいかおをしています。とこちゃんは、どうしてかわかりません。

「どうしてそんなことをゆうの?」
「それは、それはね」

 言いかけて、いえないようで、おじさんはぐっ、と 口をつぐんでしまいました。

「とこちゃんも、たべてみると わかるよ」

 そうしていなくなったおじさん。街は、だんだんと グレーがかってきたみたいで、へんなかんじがしました。
 そしてつぎの朝、とこちゃんはおじさんに言われたとおり、自分でも はちみつパンを食べてみました。ふわふわしていて、口にほおばった瞬間、はちみつが甘い香りが鼻をくすぐります。とこちゃんはあんまりおいしかったので、おおきいパンを、2枚よぶんにたべてしまいました。
 夜になると、とこちゃんは夢をみました。あまりにしあわせな夢です。しあわせすぎて、夢から覚めてしまうのが こわいくらいです。

「なぁんだ」

 とこちゃんは、目が覚めてつぶやきます。おじさんがパンを配るのをやめたほうがいいと言うのは、きっとおいしすぎて、みんなが太ってしまうからだとかんちがいしたのです。くふふ、とこちゃんは笑います。そんなにパンがほしかったのなら、いってくれればよかったのに!

 とこちゃんは新しく焼いたパンをバスケットに入れ、おじさんのもとへかけだします。でも、立ち止まってしまいました。なぜだかわかりません。足が一歩もうごかないのです。それどころか、とつぜんわけもなくさみしくなって、とこちゃんは無性に、猫をつみかさねたくなってしまいました。

「とこちゃん」
「おじさん」

 おじさんはつみかさねた猫を砂におろしたあと、とこちゃんに手をさしのべます。

「おじさんのいうことが、わかったかい?」
「うん……」

 とこちゃんはようやくわかりました。とびきりのしあわせを得ると、ふつうの日がこわくなってしまうのだと。一度かなしみのない世界にいってしまうと、目が覚めてしまうと、すごくすごくかなしいのだと。とこちゃんはまだ3歳だったので、わからなかったのです。今なら、猫をつみかさねていたおじさんの気持ちが、すこしわかる気がします。

「……みんな、おじさんのことを変だとか、ゆっていたけれど、
いちばん 猫をつみかさねたかったのは、自分たちだったんだね」
「自分のよわいところは、だれだって 見たくないものさ」

 おじさんは笑って、猫のおなかを撫でます。

「でもそろそろ、ぼくも猫をつむのはやめようと思う」
「どうして?」
「かなしんでいても、前に進めないからね」

 とこちゃんは、きっとこの人は猫をつむのをやめたら 死んでしまうだろうと思いました。なので、こっそりおじさんのポケットに、鮭のおにぎりをいれておきました。ふつうの日々における、すこしのしあわせは、人をやさしくさせると思ったのです。

 次の日、おじさんはモンゴルのはらっぱに出かけていきました。ほんとうはくじらにひかれて死のうと思っていたのですけれど、おじさんは死にませんでした。それは、とこちゃんのおにぎりを見つけたからです。
 おじさんはほろりと涙を流して、死んでしまったおくさんの分も、ぼくは生きようと思いました。

 はちみつパンを失った街の人たちは、しばらくかなしんでいましたが、ぽつりぽつりとそれぞれがたいせつなことに気づきはじめて、いつしかパンがなかったころよりも明るく、たのしくなっていました。
 とこちゃんはもうすぐ5歳になります。

「ママ、パパ!もう朝だよ」

 次はどんな発明をしようかと、またまたちょっぴり、えへへの顔です。






end.

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